浜辺で出会った漁師、アントニア・モヒカさん(62)は50年以上の漁師としての経験を持つが「魚が捕れなくなったのは、河口から100メートル程度の海域だけ。それ以外は鉱山開発が始まる前から何も変わらない」。魚の品質については「落ちたとは思っていない」

 一方、街の病院で看護婦として働く、メイ・タマヨさん(39)は鉱山開発に疑問を呈する。2011年に鉱石を運ぶトラックが通過した際に粉じんを浴び、目に鋭い痛みを覚えるようになった。このことを切っ掛けに鉱山開発に反対する署名活動などを展開するようになる。

 タマヨさんによると、農家の中には収穫量や買い取り価格の低下で収入が3割まで落ち込んだ人もいるという。2015年に街を襲った大規模な洪水も「鉱山会社が無計画に伐採を続けているせいだ」と指弾する。

「赤い川」の真実は

 住民の中でも、鉱山企業に近い住民と反対派の主張する内容には大きく隔たりがある。例えば、ロペス長官が糾弾した「赤い川」は、元鉱員に言わせれば「雨が降ると一時的に赤くなるだけ。開発が始まる前からあったことで何の影響もない」。反対派住民は「養殖池に赤い水が流れ込んで魚が死んでいる」との考えだ。

 鉱山問題の現地調査を手掛ける愛媛大の栗田英幸准教授は「フィリピンには米国統治時代に作られた鉱業対策の枠組みはあるが、機能していない」と指摘する。例えば、鉱山には現地住民の代表や地方自治体の行政官らが定期監査を実施するが「鉱山側からもらったデータを眺めるだけで現地調査はしないなど、形骸化している」。鉱山企業や許認可を出す行政機関を相手取っての訴訟も「費用が高すぎて、貧富の格差の大きいフィリピンでは意味をなさない」。かくして、確立された影響評価や因果関係の立証がないまま、それぞれの主張は宙に浮き、かみ合うことがない。

 サンタクルスに滞在中、約10人の住民に話を聞いた。十分な取材ができたと胸をはれるほどの人数ではないが、その考え方が千差万別であることは理解できた。鉱山の地元貢献を重視する人、必要悪と捉えている人、公害として真っ向から立ち向かう人。そして、関心の薄い人だ。

 ある30代の女性は、自身の経営する食料品店に操業停止後、鉱員らが訪れなくなって売上が落ちているという。再開を希望するかと聞けば「まあそうだね」と答える。しかし、環境問題に話が及ぶと「鉱山はやはりダメだろうか」

 こうした無関心の姿勢を責められるものでもない。真偽定かでない情報が雪崩のように押し寄せてくる中で、情報の取捨選択に疲れ、関心を失っていく。この構図は記者が昨年度取材に当たっていた東京電力福島第一原子力発電所事故を巡る問題でも全く同じだったように思う。放射能の人体への影響や、被災者への賠償金、除染・廃炉作業員の行状に関する無責任な流言飛語が飛び交い、被災者の間ですら分断が生まれる様子を、そして、その「面倒くささ」に関心を失う人間を多く見てきた。

 そして、分断と無関心は福島の復興のように問題の解決を遅らせる。フィリピンの鉱山問題についていえば、少なくとも全41の鉱山企業の全てが何の環境被害も及ぼしてないと考えるのは難しい。解決するべき問題は必ずそこにある。しかし、分断は二元論を生んで問題の焦点をぼやかし、無関心は問題が解決に向かうための推力を削ぐ。

 ロペス長官らによる監査結果の最終決定は2月2日に下されるそうだ。発表は当初の計画より遅れており、鉱山企業関係者の間では、政府内での鉱山問題を巡る分裂も噂されている。住民に新たな分断と無関心を呼ぶ結果にはならないよう祈るばかりだ。