創業者、伊藤氏の「しつけ」の文化とは

 2016年10月6日。この日、セブン&アイの新たなトップとなった井阪隆一社長は、「就任から100日でまとめる」としていたグループの構造改革プランを報道陣に発表した。プランについては「セブン改革、にじむ創業家への回帰」で、日経ビジネスの担当記者が詳報している。

 この会見で、最も衝撃を受けたのが井阪社長の次の言葉だった。

 「売り上げが10兆円を超えるこの巨大グループの素晴らしさは、名誉会長がしつけのように植え付けてくださった企業理念です。創業の理念を次の世代にも、しっかりつないでいくことが、私たちの大事な役割だと考えています」

 書籍「鈴木敏文 孤高」の編集作業に携わっていなければ、おそらくこの言葉を聞き逃していたはずだ。鈴木氏という大きなカリスマが去った後、井阪社長らの新体制は改めて原点を見直し、創業理念に立ち返ろうという一般的な宣言をしたものだ、と受け取っていたはずだ。

 だが過去、日経ビジネスが掲載した伊藤氏や鈴木氏、ヨーカ堂やセブン&アイの記事を熟読していた記者にとって、井阪社長があえて宣言した「巨大グループの素晴らしさは、名誉会長がしつけのように植え付けてくださった企業理念です」という言葉は、大きな衝撃を与えた。というのも、伊藤氏の現役時代の「しつけ」とは、決して生半可なものではないからだ。

長髪禁止、肌を焼きすぎないように

 書籍「鈴木敏文 孤高」では、かつてのヨーカ堂の経営についても深掘りしている。鈴木氏がヨーカ堂のトップに就くまで、同社を率いてきたのは創業者の伊藤雅俊氏だ。彼の従業員への教育方針は独特なものだった。

 本書で全体像をまとめているが、ここではいくつかのエピソードを紹介しよう。

 例えば、1980年のこと。夏頃から、東京・大森駅界隈の理髪店ではどこも突如として客足が増えるようになった。ネクタイ姿の若い男性が入れ替わり立ち替わり訪れ、全員が髪を短く刈り込むのだという。理髪店主たちは当初、首をかしげていたが、謎はほどなくして解けていく。

 来店客は、同年、ヨーカ堂グループに入った、大森京成百貨店で働く従業員だったのだ。伊藤氏は傘下入りした同社従業員らに「店員の長髪はまかりならぬ。お客様商売で、気持ち悪いと思わないのか」と一喝し、男性従業員らに髪を短く刈り込むことを求めたのだという。

 ほかにも「お客様よりも先にいい思いをしてはならない」と年末のボーナスを1月に支給していたり(1970年代に改められた)、皮がむけて肌が汚くなるからと「長時間日光に当たって、肌を焼きすぎないように」と従業員らに注意をしたり、さらにはズボンのポケットに手を突っ込んで歩くことを禁じたり…。これらはいずれも創業者である伊藤氏の考えによるものだ。

 清く正しい「商人道」を何よりも重視していた伊藤氏は、従業員らにも同じ姿勢を求め、こうしたルールを設けた。確かにこうした経営方針がヨーカ堂の基盤となっていたことは間違いない。だが、まるで子供の「しつけ」にも似た、現代から見れば「言い過ぎでは」と違和感を覚えるような強烈な「しつけ」の文化を、井阪社長は改めて会見の場で、「巨大グループの素晴らしさ」と評し、「次の世代につないでいく」と宣言したのだ。

 それまで長くセブン&アイの取材を重ねてきたが、伊藤氏の「しつけ」を評し、次の世代につなげていくといった話を聞いたのは、この会見が初めてだった。それだけに、井阪社長のこの言葉からは、セブン&アイの新体制が、伊藤雅俊氏をはじめとする創業家に強く配慮をしていると感じたのだ。

 そして、この発表の日、グループの百貨店、そごう・西武の松本隆社長も退任している。鈴木氏の下で、康弘氏と共にオムニ戦略を推進してきた人物だ。

 一連の流れだけを追えば、長くセブン&アイのトップに君臨してきた鈴木氏が去った後、新体制は、鈴木氏のトップダウン体制から、創業家である伊藤家重視の方針へと舵を切ったようにも見える。経営者として大株主である創業家に敬意を払うのは、大切なことだ。だが、果たしてそれだけで良いのだろうか。