「世界の中でJリーグの存在感は高いとまでは言えなかった。それが一夜にして劇的に変わったんです。Jリーグにとって間違いなく大きな出来事で、経営的にも、そして個人的にもすごく悔しいですよ」

悔しさを露わにするスカパーJSAT専務取締役の小牧次郎氏
(写真=都築 雅人)

 小牧氏が悔しがるのには訳がある。CWC決勝のちょうど3日前、スカパーJSATは2017年シーズン以降のJリーグ戦の放送・配信事業から撤退することを正式に発表したばかりだったからだ。

 10年間続いたJリーグ中継はまさにスカパー!の顔。皮肉なことにそれを手放さざるを得ない苦渋の決断を下した直後に、鹿島がレアルと歴史的な激戦を繰り広げ、Jリーグが世界の注目を集めることになったのだ。

苦しい時期を支えた糟糠の妻

 Jリーグの最も苦しい時期に手を差し伸べたのが、スカパー!だった。

 1993年、ジーコやリネカー、レオナルドら一流選手を迎え入れ、Jリーグは華々しいスタートを切った。地上波テレビのゴールデンタイムで試合を流せば視聴率は20%を超え、各局はこぞってJリーグの試合を放送した。

 だが、わずか1年半ほどでブームは終焉。それ以降、地上波でリーグ戦が放送される機会はほとんどなくなった。日本代表が初出場した1998年のフランスワールドカップ(W杯)、2002年の日韓W杯を経て、国内のサッカー熱は高まったが、それがJリーグ人気の底上げにまでは及ばなかった。

 フジテレビ社員だった小牧氏が、同社がイコールパートナーとして経営参加したジェイ・スカイ・ビー(JスカイB、現スカパーJSAT)に出向したのは1997年のこと。フランスW杯の開催時期に合わせて、スカパー!で延べ放送時間500時間に及ぶ特番を企画、自ら司会者として特番に出演した。

 フランスW杯特番に手ごたえを感じたスカパー!は次の日韓W杯で勝負に打って出た。巨額の資金をねん出し、民放各局の連合体より上位の放映権を獲得。スカパー!でW杯全試合を放送した。その後、セリエAやCL(UEFAチャンピオンズリーグ)の放映権も次々と取得。いわば小牧氏はサッカーをスカパー!の顔に育て上げたキーパーソンなのだ。

 「多チャンネルだから入手した映像をすべて流せるというのが我々の強みだった。当時は世界中からサッカーの映像がスカパー!に集まってきた。放送センターのある青海(東京都江東区)は『東京の都心からは遠いけど、サッカー的には世界に最も近い場所』と言われていたよ」(小牧氏)

 スカパー!と言えばサッカーという世間のコンセンサスが出来上がった2006年。スカパーJSATはJリーグの放送に乗り出すことを決断する。

「サッカーチャンネルを自認しながら自国リーグを放送しないのは本末転倒だよ」