「時計を戻したい」

 メルケルを含めてEU加盟国の首脳たちは、2010年以降アラブ世界が不安定となる兆候を見せ始めてからも、難民の大量流入に備えて、EU外縁部の警備体制を強化するなどの努力を怠ってきた。

 ベルリン市議会選での敗北直後、メルケルは珍しく、気弱な発言を行った。「できることならば、時間を何年も逆に戻して、連邦政府と全ての責任者が、昨年夏に起きたような事態に十分に対処できるように、準備を整えたかった」。普段はポーカーフェイスを決め込むメルケルが、このような後ろ向きの発言を行い、悔悟の念を露わにするのは、極めて稀である。

 さらにメルケルは「Wir schaffen das(我々は問題を解決できる)」という決意表明が、“内容のない空虚な言葉”になってしまったことを残念に思う」とも述べ、もはやこの言葉を使わないと明言した。

歴史認識に基づくメルケルの決断は正しかった

 私は、メルケルが昨年9月にハンガリーで立ち往生していたシリア難民たちを受け入れたことは、正しかったと考えている。もしもメルケルが「EU法を曲げることはできないので、全ての難民はハンガリーで亡命申請をするべきだ」として、国境を閉鎖したら、全世界から「ドイツは非情な国だ」という非難の声が上がったに違いない。

 1930年代から第二次世界大戦が終結するまで、ナチス・ドイツはユダヤ人や外国人、SPD党員、共産党員、シンティ・ロマ(いわゆるジプシー)、身体障害者らを虐殺したり、強制収容所に閉じ込めたりした。

戦後西ドイツ政府はこの歴史的事実を反省して、人権擁護を重視してきた。同国の基本法(憲法)の第1条は、「人間の尊厳は、絶対に侵してはならない。人間の尊厳を守ることは、国家の義務である」という言葉で始まっている。この言葉には、狂った国粋主義、人種差別主義に基づき、ナチスが人権を踏みにじったことに対する深い反省が込められている。

 ドイツの憲法が亡命権を基本的な権利の一つとして明記していることも、戦争中の体験に基づく。多くのユダヤ人や反体制派は、外国に亡命することによって、ナチスの迫害から逃れて生き延びることができたからである。後にドイツ連邦政府の首相になるヴィリー・ブラントもその一人。彼はスウェーデンに亡命できたおかげで命拾いした。

 今日のドイツの亡命申請規定は、他国に比べて寛容だ。外国人がドイツ国内に入って、「亡命を申請する」と言った場合、ドイツ政府は審査が済むまでの間、この外国人に滞在場所、食事、医療サービスを無償で提供しなくてはならない。さらに、小遣いまで支給する。

 今日のドイツが、ナチス・ドイツと訣別した「人権重視国家」であることを世界に示すために、メルケルはシリア難民たちを受け入れた。危機に際して、規則よりも人間の尊厳を重んじる国であることを、行動によって立証した。もしもドイツが昨年9月に国境を閉ざしていたら、イスラエルや米国などから「まるでナチス・ドイツのようだ。ドイツは人間の尊厳よりも規則を重視するのか」と批判されたに違いない。

 しかも、当時東欧諸国やフランス、英国など他のEU加盟国は、シリア難民の受け入れに消極的だった。EUもまた第二次世界大戦の惨禍に対する反省から生まれた国際機関であり、人権擁護を重視するという大義名分を持っている。だが、その活動は振るわない。昨年の夏には船で地中海を渡ろうとして溺れ死んだり、ドイツへ向かう保冷車の中で窒息死したりする難民の数が増えていた。それにもかかわらず、EU政府に相当する欧州委員会は、手をこまねくだけだった。

 メルケルは、難民危機がエスカレートしていたにもかかわらず、EUが救済のイニシアチブを取らないことに業を煮やし、ほぼ独断でシリア難民の受け入れに踏み切った。ある意味でメルケルは、「人権重視」を建前とするEUの名誉も守ろうとしたのだ。ドイツの首相は、時には100人が反対しても、自分が正しいと思う道を選ばなくてはならない。私は26年前からこの国に住む外国人の1人として、「メルケルは、戦後ドイツの首相として正しい道を選んだ」と確信している。

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