メルケル首相は壇上でゼーホーファー氏に反論しなかった。しかし彼女は表情を石のようにこわばらせ、時折口をへの字に折り曲げていた。同首相が心の中で怒りを煮えたぎらせていたことは明らかだ。
もしもメルケル首相がこの時ゼーホーファー氏に反論していたら、メディアが「難民問題をめぐって連立政権内で深刻な対立」と書き立て、政局運営に悪影響が及んだに違いない。メルケル氏は感情を表に出さないポーカーフェイスが得意な政治家として知られる。その能力をフルに発揮してゼーホーファー氏からの侮辱に耐えた。だが両者の間の亀裂は、この時修復不能の状態に陥った。
昨年9月の連邦議会選挙でCSUの得票率が激減して以降、ゼーホーファー党首はAfDに似た発言を繰り返すようになった。右派ポピュリスト的な路線を打ち出すことによって、AfDに奪われた有権者を取り戻すためである。たとえば彼は今年3月15日に大衆紙「ビルト」とのインタビューで「ドイツはキリスト教の伝統を持つ国であり、イスラム教はドイツには属さない。もちろんドイツに住むイスラム教徒はこの国に属しているが、彼らに配慮してドイツの慣習や伝統を放棄するべきではない」と語った。
これは、「イスラム教はドイツの憲法や文化と相容れない」というAfDの主張に酷似している。さらに、メルケル首相が総選挙前に行ったインタビューの中で打ち出した「イスラム教はドイツの一部だ」というコメントを真っ向から否定するものだった。
また連邦内務相でもあるゼーホーファー氏は、今年7月に69歳の誕生日を迎えた時に、記者団の前で「今日ドイツから69人の難民を外国へ強制送還した。もちろん私の誕生日に合わせて命令したものではない」という、趣味の悪い軽口を叩いてメディアから批判された。この時送還された1人であるアフガニスタン人は、現地に到着した後自殺している。
また、連邦内務大臣でもあるゼーホーファー氏は今年6月に「EUの他の国で登録された難民がドイツに入国しようとした場合、国境で入国を拒否する」と一方的に発表し、メルケル首相と全面的に対立した。通常CDUとCSUの議員たちは、連邦議会で合同で打ち合わせを行うが、この時には別々の会議室で打ち合わせを行うほど、両党の間の亀裂は深まった。ゼーホーファー氏はCSU内部の会議で「もうこの女と一緒に働くことはできない」と語った。別のCSU幹部は「メルケルはやめるべきだ」と言った。
これに対しメルケル首相が「内務大臣が私の指示に従わない場合には、首相の指導権限を行使する」として罷免の可能性をちらつかせるなど両者の対立はエスカレートし、大連立政権は空中分解の瀬戸際に追い詰められた。
右派ポピュリストになり切れなかったゼーホーファー
ゼーホーファー氏は、メルケル首相と一線を画し「ドイツのアイデンティティーを守る」と有権者に約束した。だが彼にはメルケル首相と袂を分かち、大連立政権を崩壊させるまでの胆力はなかった。たとえば今年6月、難民の入国拒否をめぐってメルケル首相と対立した時、「私の要求が受け入れられない場合には、内務大臣を辞任する」とまで啖呵を切ったものの、結局はメルケル首相の妥協案を受け入れて、内相の座に留まった。結局CSUはCDUの袖にすがらなければ、中央政界で発言力を持つことはできないのだ。
つまり多くのCSU支持者は、「ゼーホーファー氏はメルケル首相を口では批判するが、CDUとCSUの関係を割るだけの度胸はない。実行が伴わない」と判断したのだ。ゼーホーファー氏はメルケル首相から距離を置くことに失敗した。さらにCSU内部の中道勢力は、ゼーホーファー氏があからさまにAfDに似た発言を繰り返すことに、反発した。前回の選挙でCSUに投票した有権者のうち、今回、緑の党に鞍替えした人々の数は18万人にのぼる。つまりCSUは保守派からも中道勢力からもそっぽを向かれた。そのことが10月14日の大敗につながった。

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