10月14日にドイツ南部バイエルン州で行われた州議会選挙で、与党キリスト教社会同盟(CSU)が予想通り大敗した。CSUはアンゲラ・メルケル首相が率いるキリスト教民主同盟(CDU)の姉妹政党として大連立政権の一翼を担っている。それだけにCSUの敗北はメルケル首相の政権運営を一段と困難にする。ドイツの政界では「メルケル首相の時代は終わった」という言葉が囁かれている。

CSUが単独過半数を失う

 選挙管理委員会が10月14日に発表した開票結果によると、CSUの得票率は前回の選挙に比べて10.4ポイント減って37.2%となった。また社会民主党(SPD)も得票率を10.9ポイント減らし9.7%となった。逆に右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は10.2%の得票率を記録して、バイエルン州議会に初めて議席を持つことになった。また緑の党は前回に比べて8.9ポイント多い17.5%の得票率を記録し、CSUに次ぐ第2党となった。

ミュンヘン市内で見かけたAfDのポスターには、何者かが傷をつけていた。(撮影=熊谷 徹)
ミュンヘン市内で見かけたAfDのポスターには、何者かが傷をつけていた。(撮影=熊谷 徹)

 CSUは単独で議席の過半数を占めることができなくなったため、緑の党もしくは第3党の地域政党「自由な有権者(フライエ・ヴェーラー=FW)」と連立政権を組まなくてはならない。

単独過半数を失ったCSUは緑の党などと連立交渉を開始しなくてはならない。写真はバイエルン州政府庁舎。(撮影=熊谷 徹)
単独過半数を失ったCSUは緑の党などと連立交渉を開始しなくてはならない。写真はバイエルン州政府庁舎。(撮影=熊谷 徹)

 CSUの大敗は予想されていた。公共放送局ARDが10月4日に発表した支持率調査で、CSUの支持率は33%と史上最低の水準に落ち込んでいたからである。また昨年9月に行われた連邦議会選挙でも、CSUのバイエルン州での得票率は前回に比べて約11ポイントも下がって38.8%になっていた。

難民政策に対する不満の高まり

 CSUが大敗した原因は何か。その責任の大半は、バイエルン州政府のマルクス・ゼーダー首相ではなく、メルケル政権で連邦内務大臣を務めるホルスト・ゼーホーファーCSU党首にある。つまり連邦レベルの政治への有権者の不満が、CSUを直撃した。

 一言でいえば、ゼーホーファー氏はAfDに奪われた保守層の票を取り戻すために、右派ポピュリストの路線を真似ようとしたが、結局ポピュリストになり切れなかったのだ。その結果、多数のCSU支持者の票がAfDに流れた。世論調査機関インフラテスト・ディマップの調査によると、CSUからAfDに鞍替えした有権者の数は約18万人にのぼる。

 保守の牙城バイエルン州では、2015年9月にメルケル政権が約100万人のシリア難民を受け入れたことについて、市民の不満が強かった。バイエルン州はドイツで最も南に位置するため、ハンガリーやオーストリア経由で欧州を目指す難民が最初に到着する。メルケル首相がブダペストで立ち往生していたシリア難民にドイツでの亡命申請を許すという超法規的措置を発表すると、ミュンヘン中央駅には毎日2万人もの難民が列車で到着した。

 バイエルン州の多くの地方自治体は、州政府から難民たちを配分されて、短時間のうちに体育館などに収容施設を作らなければならなかった。多くの首長が州政府に対して「もはや難民を受け入れるのは不可能だ。なぜ国境を開放したのだ」と詰め寄った。

 農村部では「難民の数が増えて以来、暴行されるドイツ人女性の数が増えた」という噂が広がった。ティーンエージャーの娘を持つ私の知人は筆者に、「娘が学校に行くために、アフリカからの難民たちがたむろしている仮設住宅の前を通り過ぎるのは心配でたまらない」と語った。

 メルケル首相が取った難民政策は、右翼政党AfDにとってまたとない追い風となった。同党は2013年に経済学者らが反ユーロ政党として創設した。その後、年々、ネオナチに近い人種差別主義者たちが主導権を握るようになった。メルケル首相が2015年9月に決断した難民受け入れは、この党に共感する市民の数を爆発的に増やした。

 AfDはツイッターやフェイスブックを駆使して、難民に対する不安を煽るメッセージを流し続けた。さらに「ナイフの移民(Messermigration)」という新語を作り、難民がナイフでドイツ人を殺傷するという不安を煽り立てた。CSU保守層の目には、メルケル首相の政策は緑の党並みに「左傾化」しており、ドイツ固有の文化を侵食する路線と映った。

 したがってAfDにとって、メルケル政権に疎外感を抱く保守層の票を切り崩すのは容易なことだった。

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