ドイツ連邦内務省によると、昨年4月にドイツに到着して政府に登録された難民数は2万7178人だったが、今年4月に到着した難民は、これより42%も少ない1万5941人だった。ドイツ政府は、このままの状態が続けば、ドイツに今年1年間に到着する難民数は20万~30万人にとどまると予想している。

 だがその前提は、エルドアンがEUとの合意を守って、「難民の水門」を閉めておくことだ。彼が堰を開いて、国内にいる250万人の難民を欧州へ向けて出国させた場合、バルカン半島そして西欧諸国は大きな混乱に陥る。ドイツには、昨年11月の1ヶ月だけで約29万人の難民が流れ込んだ。多くのドイツ市民の間には、当時の不安感が現在も色濃く残っている。

 公共放送ZDFが今年5月中旬に行った世論調査によると、回答者の59%が「EUとトルコの間の難民合意は破綻する」という悲観的な見方を打ち出した。他の世論調査でも、回答者の半分以上が難民問題でトルコに依存することに反対している。

 英国やフランス、東欧諸国をはじめとして、大半のEU加盟国は多数の難民の受け入れを拒否しており、メルケルは孤立無援の状態にある。彼女にとって、唯一の難民対策はトルコが難民を引き取ってくれることなのだ。

エルドアンの「難民カード」

 しかしエルドアンは、メルケルの弱みを最大限に利用しようとしている。彼は、ドイツなどEU諸国がクルド人抑圧を批判しても、馬耳東風をきめこむ。「治安優先」を旗印として、クルド人など政府を批判する勢力への締め付けを強化するに違いない。さらに彼は、EUへのビザなし渡航やEU加盟交渉の加速、難民対策費の増額などを強硬に求め続けるだろう。難民合意とビザなし渡航をめぐる交渉では、エルドアンの方が圧倒的に有利な立場にある。

 エルドアンにとって、トルコに滞在しているシリア難民は、メルケルとEUから譲歩を引き出すための重要な切り札だ。彼は、欧州に大量の難民が再び流入した場合、右派ポピュリスト政党への支持率が急増し、伝統的な政党が選挙で苦境に追い込まれることを熟知している。

 メルケルは、トルコ政府がジャーナリストや野党への抑圧を強めるほど、EU正式加盟への道が遠のくことを、エルドアンに理解させなくてはならない。ただし、権力を一身に集中させつつあるエルドアンが、メルケルの説得に耳を貸すかどうかは、未知数だ。

 多くのドイツ人は、「トルコが独裁国家のような体質を強めつつある」と考えている。しかも、ドイツはそのような国を難民対策の頼みの綱とせざるを得なくなっている。メルケルは難民数の制限とトルコ政府の穏健化というジレンマをどのように解決するのだろうか。現在続いている難民危機の小康状態は、まるで薄氷のように脆い。エルドアンの判断一つで、昨年の9月から11月にかけて起きたような混乱が、欧州に再来する可能性がある。トルコは当分の間、EU政局の鍵を握ることになるだろう。