AfDは元々、ユーロに反対するインテリ層が作った党である。だが、一部の党員が排外主義的な性格が強い団体ペギーダに接近するなど、急速に右傾化。AfDの創設者で、穏健派の経済学者ベアント・ルッケ氏は、一部の党員の右傾化に反発して離党し、別の政党を作ったほどだ。

 こうしたAfDの「自殺点」(オウン・ゴール)も、メルケル首相にとって追い風となった。

 筆者がよく知る東ドイツ出身の男性は、「ユーロに批判的なAfDの経済政策に共鳴して同党を支援してきたが、最近のAfDの右旋回には不快感を覚える」と語った。この言葉は、メルケル首相への失望からAfDを支持してきた保守層の戸惑いを浮き彫りにしている。

 AfDは9月の連邦議会選挙で5%を超える得票率を確保し、連邦議会入りを果たすだろう。だが、全ての党がAfDと連立することを拒否しているため、メルケル首相の強力なライバルにはならない。

 仏大統領選挙の結果にも表れているように、欧州政治を分析する基準は、もはや保守対革新ではない。グローバリズムや市場開放主義を維持しようとする勢力と、ナショナリズムを優先する勢力の対決と見るべきだろう。

シュルツ旋風の幻

 さて今年1月にメルケル首相を驚かせたのは、SPDが、欧州議会のマルティン・シュルツ前議長を連邦議会選挙における首相候補に選んだ途端に、同党の支持率が急増したことだ。昨年12月には20%台に低迷していたSPDの支持率は、今年3月には31%まで回復した。同党の党員数は、今年1月から約1万人増えた。2005年にSPDのシュレーダー首相(当時)が辞任して以来、同党の支持率がこれほど急激に伸びたことは、一度もなかった。

 SPDの党員は熱狂し、今年3月の臨時党大会でシュルツ氏を全員賛成で党首に選ぶという、SPD結党以来初めての事態を起こした。

 シュルツ氏が一時的に高い人気を得た理由は、シュレーダー氏が2003年に断行した雇用市場・社会保障制度の大改革「アゲンダ2010」を「誤り」と断定して、社会保障を拡大する政策を打ち出したからだ。

 アゲンダ2010は、2000年から10年間の労働コストの伸び率を、ユーロ圏で最低レベルに引き下げ、企業競争力を強化した。ドイツの経済パフォーマンスが現在、絶好調である理由の1つは、アゲンダ2010がもたらした労働コストの削減と様々な規制緩和だ。財界と保守党はこの改革を歓迎したが、低賃金層を増やしたために、所得格差を広げ、ワーキングプアの問題を生んだ。

 シュレーダー氏の改革は、SPD左派を激怒させて離党者が続出。オスカー・ラフォンテーヌ元財務大臣もSPDと袂を分かち、リンケ(左翼党)という党を創設した。シュレーダー氏も2005年の連邦議会選挙で敗退して、首相を辞職。2009年の連邦議会選挙でSPDの得票率は23%という史上最低の水準に落ち込んだ。

 つまり「シュレーダー改革で、SPDは企業寄りの党になった」と落胆していたSPD支持者たちが、「シュルツの登場によってSPDはアゲンダ2020の呪縛から解き放たれる」という期待感を抱いた。

 シュルツ氏はドイツの州議会や連邦議会で議員を務めた経験が一度もない。つまりSPD左派は、「シュルツ新党首はアゲンダ2010に汚染されておらず、SPDの針路を変更して、労働者など社会の弱者に手を差し伸べる政治家になる」と期待したのだ。これが、今年1月から3月までドイツを揺るがせた「シュルツ・フィーバー」の理由である。

 だがこの熱気は、線香花火のように尻つぼみとなった。SPDは、シュルツ・フィーバーを州議会選挙での得票拡大につなげることができなかった。

 今年3月末にドイツ南西部のザールラント州で行われた州議会選挙で、SPDは得票率を前回の選挙に比べて1ポイント減らし敗退。逆にCDUは得票率を5.5ポイント伸ばしている。