また、「ケルンのカーニバル(謝肉祭)や、ミュンヘンのビール祭オクトーバーフェストでも、多数の男性が女性を強姦する事件は起こる。したがって、ケルンの事件だけを特別視すべきではない」という意見もある。

 これに対し、1991年から10年間にわたり、ドイツの公共放送局ARDのアルジェリア特派員を務めたザミュエル・シルムベックは、「北アフリカやアラブ諸国では、公共交通機関の中などで、男性が女性の身体を触る性犯罪は、日常茶飯事だ。ケルンで起きたのは、アラブ世界で毎日起きていることが、場所を変えて起きたにすぎない」と指摘している。

 彼は、「アラブ世界では、多くの女性たちが男性からの蔑視に苦しんでいる。その背景には、イスラム原理主義がある。ドイツのリベラル勢力の間では、アラブ世界で起きている女性差別の実態がほとんど知られていない。今回の事件をきっかけに、イスラム教に関する真剣な議論を始めるべきだ」と述べている。

 ドイツでは確かに、これまで外国人が犯罪をおかした場合に、メディアがその出身国や難民であるかどうかを詳しく報じないことが多かった。メディアは、市民の間にある外国人、特に難民に対する偏見が高まることを恐れたのである。さらにメディアは「イスラム教徒に対して反感を抱いている」と左派勢力から批判されることも恐れた。

 筆者自身、ケルンの事件が起きるまでは、特にARDなどの公共放送局が、難民流入について否定的なニュースを極力避けようとしていることに気づいていた。だがケルン事件以降、メディアはこうした「自粛措置」を大幅に減らしている。連邦内務大臣のトーマス・デメジエールも、「犯罪者の出身国の公表を控えることは、許されない」と発言した。

ドイツの社会規範とは異質な空間の出現

 ケルンの事件は、「男女同権」や「法治主義」が常識となっているドイツの価値観や行動規範とは、全く異質の空間が、難民流入によってドイツに誕生したことを、浮き彫りにした。つまり大晦日の夜、ケルンの駅前広場では、ドイツとアラブの文化が衝突したのだ。そこでは、数時間にわたり、「女性の身体に触れたり、金品を奪ったりしてはいけない」というドイツでの常識が通用しなかった。

 リスク意識が強いドイツ人にとって、治安の確保は極めて重要だ。ところが、ドイツの国家権力を代表する警察は、ケルンの暴力事件の前に無力だった。警察は、市民が治安の確保という任務を委託している「暴力装置」である。その暴力装置が、外国人に襲われる女性たちを守ることができなかった。これは、多くのドイツ人にとって、生活の基盤を揺さぶられるような体験である。ドイツでは、過去1年間にピストルなど、銃器の所有許可を申請する市民の数が急増している。これは、多くの市民が治安の悪化について懸念を抱いている兆候である。

 日刊経済紙「ハンデルスブラット」で副編集長を務めるトーマス・トゥマは、「1965年に西ドイツが大量の労働移民をトルコなどから受け入れた時、作家マックス・フリッシュは、“我々は労働力を受け入れることばかり考えていたが、実際にやって来たのは、生身の人間たちだった”と書いた」と述べている。

 1960年代に、西ドイツの政府と企業は、ドイツで仕事がなくなれば、トルコ人たちとその家族は母国に帰ると思っていたが、多くのトルコ人が手厚い社会保障制度を持つドイツに定住した。西ドイツ政府はドイツ語の習得を義務付けなかったので、30年のあいだドイツに住んでいてもドイツ語を話せないトルコ人たちが、ドイツ人との交流を必要としない「パラレル・ワールド」を作ってしまった。当時のドイツの移民政策は失敗したのである。

 トゥマは、「今回の難民危機で、我々は戦争の被害者たちがやってくると思っていた。実際には、その中には犯罪をおかす者たちも混じっていた」と述べている。今回も、ドイツ政府は外国人の受け入れをめぐり「想定外の事態」に直面したのだ。

 筆者も、昨年9月の初めに、毎日1万人もの難民がドイツに到着し、身元について詳しく検査されることなく入国しているのを見て、「ドイツの治安がフランスや米国のように悪化するのは避けられない」と強く感じた。しかし、そのわずか3カ月後に、ケルンの事件のような露骨で大規模な犯罪が行われるとは、想像もできなかった。

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