山根:熊本県消防学校に集結した緊急消防援助隊は、テントを張り野営をしていたとのことですが、食事は?

小清水:北九州市からは6隊が行きましたが、その1隊が活動の援助をする「後方支援隊」です。食事を作る機材も積んでいるんです。

山根:そういうチームの機能は自衛隊だけかと思っていました。
 小清水さんは先遣隊として4日間の出動だったそうですが、その後は?

小清水:二次派遣隊、さらに次の部隊と交代して活動はずっと継続していきます。北九州市だけではなく他の消防本部も同じような体制です。

山根:この緊急消防援助隊の巨大災害時の対応システム、聞いてはいましたが、じつに見事です。ご尽力に心から感謝いたします。お疲れのところ、大変ありがとうございました。

「日ごろの訓練と経験があってこその現場の判断」と語った小清水隊長(写真提供・北九州市消防局)
「日ごろの訓練と経験があってこその現場の判断」と語った小清水隊長(写真提供・北九州市消防局)

彼らは教訓を胸に、日々訓練を重ねてきた

 緊急消防援助隊は、2004年の法制化以降に限っても、巨大地震に限らず、大規模火災(黒磯市ブリヂストン工場火災や出光興産北海道製油所原油貯蔵タンク火災)、土砂崩れ車両埋没事故、台風、豪雨や洪水、巨大事故(JR西日本福知山線列車事故)などに出動してきた。日本は災害大国ではあるが、災害救助大国でもあることを実感する。

 その体制は、阪神・淡路大震災という観測史上初の「震度7」の災害の教訓から生まれ、その技術や連携活動能力の向上を目指す訓練を続けてきたのだ。

 1996年度から全国を6ブロックに分けた地域ブロック合同訓練は毎年実施、5年に1回は全国合同訓練をしている。九州ブロックの北九州市消防局は昨年(2015年度)だけでも、九州ブロック合同訓練(大分県佐伯市)、中国・四国ブロック合同訓練(香川県高松市ほか)、全国合同訓練(千葉県市原市ほか)に参加。全国合同訓練では、各都道府県の緊急消防援助隊、約600隊(約2200人)というすごい規模だ。こういう訓練を続けているからこそ、熊本地震でも迅速な人命救助が可能だったのである。

 巨大災害は不幸なできごとだが、その巨大災害を「教訓」としたからこそ、一人でも多くの命を迅速に救うオールジャパンのシステムが整ったのである。
 今後も巨大地震や巨大災害が確実に見舞うことが明かな日本ゆえ、個人も家族も地域社会も、そして企業も、今、まだ揺れが続いている熊本地震から目をそらさずに、できるだけ多くの「教訓」を得てほしいと思う。

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 初めて巨大地震の現場に入ったのは1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)だった。
 「それまで、なぜ、巨大地震の現場取材をしていなかったのだろう」と自問して、気づいた。
 1948年の福井地震(死者3769名)以降、日本では死者が2000名を超える巨大地震は、阪神・淡路大震災まで発生していなかったからだった。世界の地震の10%が起こっている日本にもかかわらず、巨大地震が起こらない静かな半世紀が続いたからこそ、日本は高度経済成長をとげることができたのだとも言われる。

 しかし、阪神・淡路大震災以降、日本は巨大地震の多発時代に入った。
 阪神・淡路大震災の現場を歩きながら、この災害の惨状を広く伝え、巨大災害の科学的な研究や防災・減災のありようを生涯にわたって書き続けようと決意した。
 その著作の一部が、『メタルカラーの時代〈9〉「壊れぬ技術」のメダリスト』(小学館文庫)』であり、『メタルカラー烈伝 温暖化クライシス』(1996年)だ。

 いずれもおよそ10年前の出版だが、阪神・淡路大震災、中越地震、福井豪雨、など、その後の巨大地震、巨大災害の取材成果が含まれる。

 今回紹介した緊急消防援助隊については、福井豪雨の際の活動を書いている。熊本地震では、膨大な「がれき」の処理が課題だが、当時の福井市長は、それがあっという間に片付いた驚きの支援活動を涙ながらに語ってくれた。中越地震では、100万トンの土砂崩れ現場から優太ちゃんを救い出したハイパーレスキュー隊長3人のスクープ証言や、日本ではまだ実現していない消防飛行艇の技術などをとりあげている。

 産業関連では、中越地震で大きな被害を受けた錦鯉という第一次産業の関係者の証言や全自動車メーカーにピストンリングを供給していた柏崎市のリケンの壮絶なまでの復興記録も紹介した(「ピストンリングー8000人もが震災復旧支援の熱き人間力」、これは『メタルカラー烈伝 “トヨタ世界一時代”の日本力』に収載)。
 巨大災害後のライフライン、インフラの復旧工事は最初の大きな課題だが、都市ガス、水道管、都市交通などの被害と復旧もエンジニアたちの証言を得ている。

 また、地震に強い建築物の実現のために阪神・淡路大震災を教訓に10年をかけて建設された人工地震実験装置や火山災害時などの災害ロボット技術の始まりの時代も書いている。その後、日本は東日本大震災というとてつもない災害に見舞われ、原子力災害までも蒙ってしまったが、それらの災害対応には、阪神・淡路大震災での経験や教訓が大いに活かされたことはあまり知られていない。たとえば、福島第一原発で最初の放水冷却を担ったのは、中越地震で優太ちゃんを救出した同じハイパーレスキュー隊だった。

 熊本地震では甚大な被害が人々を苦しめており今も余震が続いているが、熊本地震に投入された知恵や技術、チームは、いずれも阪神・淡路大震災を「教訓」に進化を続けてきた、おそらく世界最高水準の災害対応リソースなのである。熊本地震ではまだまだ不十分な面が多いことを教えられたが、だからこそ、熊本地震から徹底してさらに教訓を得なくてはいけない。そのためには、それぞれの分野でどのような経験と教訓、進化があったのかを知ることも忘れないでほしい。私が、阪神・淡路大震災以降、巨大災害を取材し書き続けてきたのはそのためなのだから。

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