(前回から読む)

糸魚川大火の焼け跡を前に記憶がまざまざと蘇ったのが、22年前の阪神・淡路大震災、神戸市長田区、菅原通りアーケードの焼け跡だった。
1995年1月21日、地震発生から5日後に神戸入りした私は、焼け落ちたアーケードを歩き、突き当たりの神戸市立御蔵小学校の避難所で被災した方々と会った。
その一人が、こう話した。
「潰された家の下にオバちゃんがいて救助を求めていたので、駆けつけました。でも柱などがとりのぞけないところに火が迫って、助けて!助けて!という声を出しながら炎に包まれてしまい、助けられなかった……」

活断層地震と大火
私は巨大地震による大火の怖さに衝撃を受け、人生の価値観が変わった。
災害、防災を大きなテーマとするようになった。
巨大災害の現場に駆けつけることを続け、専門家による研究成果を伝えるのが使命と自らに課してきたのは、この22年前の経験が原点なのである。
ちなみに熊本地震では、活断層の専門家である東北大学災害科学総合研究所教授、遠田晋次さんの調査に同行したが、これが契機となって、先日、遠田さんによる『活断層地震はどこまで予測できるか 日本列島で今起きていること』が出版されたのはその一例だ。
遠田さんは、「兵庫県南部地に続き熊本地震と2度も巨大地震後の活断層を見たが、生涯に2度もこういう経験をしたのは活断層学者としては奇跡」と、語っていたが、やはり神戸・淡路島が原点のひとつなのだ。
その阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)について私は、2015年1月に本コラムで以下の記事を書いた。
【私にとっての阪神・淡路大震災20年】
(1)20年前の震災を忘れない…「ビデオ30分」の悔恨とポン引きの声と
(2)忘れない…震災1年後の神戸の夜、悲しみの先に見た光を
(3)伝えたい…阪神高速28km、震災後20ヶ月「超高速復旧」の真実
淡路島、そして神戸の地下を引き裂いた活断層による巨大地震では火災が多発したが、長田区の火災発生件数は神戸全市の約15%にすぎなかった。しかし、焼損床面積では64%と圧倒的に被害が大きかった。それは、糸魚川大火と同じように木造住宅の密集地だったからだとされる(長田区の死者は921人、全市の2割)。
[コメント投稿]記事対する自分の意見を書き込もう
記事の内容やRaiseの議論に対して、意見や見解をコメントとして書き込むことができます。記事の下部に表示されるコメント欄に書き込むとすぐに自分のコメントが表示されます。コメントに対して「返信」したり、「いいね」したりすることもできます。 詳細を読む