北京にいく飛行機の中で、この秋の話題の映画「シン・ゴジラ」と「君の名は。」を遅ればせながら見た。「シン・ゴジラ」については、ノンフィクション作家の関岡英之さんから「すばらしい」と強く勧められていたので期待していたのだが、「君の名は。」については使い古されたテーマの焼き直しと軽くみていた。

 結果からいうと「シン・ゴジラ」も面白かったが、「君の名は。」の方が印象深かった。陳腐な言い方だが癒しを感じた。アニメという絵の世界であることもあって、普段私たちが見ている東京の街並みや山村の日常がこれでもかというほど美しく、このささやかながら美しく愛おしい日常が突然奪われる喪失の深さに自然と思いをはせた。

 実写では人や車で混雑した東京がここまで美しく描けるかわからない。「シン・ゴジラ」も「君の名は。」も東日本大震災が原点にあり、その喪失感を取り戻そうとする人の希望を描こうとした映画だとしたら、日本のこまった政治状況を揶揄することに前半重点をおいた「シン・ゴジラ」よりも、かけがえのない日常を美しく描くことに力を入れた「君の名は。」の方が「共感」力はあるだろう。

 ところで、この日本人的「共感」というのは中国人に通じるのだろうか、とふと思った。おりしも、12月2日から中国で「君の名は。」が異例のスピードで公開され、歴代アニメ映画の中ではウォルトディズニーアニメーションスタジオが制作した3Dアニメ「ズートピア」や香港カンフー映画をモチーフにした米国の3DCGアニメ「カンフー・パンダ」あるいは日本の国民的アニメ「STAND BY MEドラえもん」に迫る勢いで興行収入を伸ばしているとニュースになっていた。

「99%あり得ない」格差の壁

 そう思ったのは、中国人と日本人の共感ポイントは、実はかなりずれている、と常々感じていたからだ。「君の名は。」は大都会・東京のど真ん中で暮らす男子高校生と現代の秘境と呼ばれる飛騨の山村の女子高生の恋物語であるが、普通に考えて、中国の上海や北京戸籍の重点高校に通うような都会の少年と、四川や雲南の寒村に生まれ育った少女が偶然出会ったとして、恋に落ちる可能性があるだろうか。そもそも、言葉は通じるのか。リアルな視点でいえば、おそらく99%の中国人があり得ない、というだろう。中国人の社会階層における差別感は日本人が想像するより厳然としており、それを乗り越えるラブロマンスがなかなか成立しがたいほどに根深い。