このナイフの絵文字はスマートフォンを奪った者からの脅迫なのか、あるいは夫が自分の身に危険が迫っているというシグナルなのか。妻はこの数日後、欧米メディア相手に記者会見まで開き、「真相と正義を追及してほしい」と訴えている。これは中国の高級官僚の妻の行動としては尋常ではない。妻はグレースと名乗っているがこれは偽名なのか。偽名でなければ外国人? いやこのクラスの高級官僚の妻が外国人であることは許されない。後ろ姿の印象では64歳の孟の妻にしてはずいぶん若そうだ。ならば内縁の妻(内縁の妻の場合は外国籍もありうるが)? いずれにしても中国人の共産党幹部の高級官僚の妻であれば、こうした行動が共産党への敵対行為と受け取られることは承知のはずだから、これは相当覚悟を決めたアクション、つまり国家と党を捨てることを覚悟をした者の言動ではないか。

 そう考えながらこの事件を眺めていると、これは傍目に見る以上に複雑な背景があるかもしれない。時間がたてば、もっと真相に近いところから情報が漏れ出てくることだろう。

頭に袋をかぶせられて拉致

 あらためて思うに、中国では意外に簡単に人が消える。范冰冰は忽然と姿を消してから120日あまり音信不通だった。香港蘋果日報の報道を信じるならば、彼女は南京市のショッピングモールの20階にある有名占い師(占い料200万元!)のところにいるとき、とつぜん頭から袋をかぶせられて公安当局に拉致されたという。巨額とはいえ脱税しただけで、3カ月も社会から消滅していた。2017年1月に香港の五つ星ホテルから姿を消した大富豪・蕭建華は今に至るまで、どこにいるのか、生きているのかどうかも明かされていない。

 范冰冰も蕭建華も孟宏偉も、地位も金も知名度もある国際的有名人だから失踪したら、外国メディアも騒ぐが、中国国内では、ウイグル、チベット、人権活動家、民主化運動家、弁護士、ジャーナリスト、陳情者、ヒラ官僚といった人たちが毎日のように、音もなく消えて、時にはしばらくたってからひそやかに日常に戻り、時にはそのまま忘れさられ、時にはあとから実は逮捕されていたことが公表され、時には事故死や自殺の遺体と言う形で発見されたりする。

 私はそういう失踪して戻ってきた当事者から、その間何があったのかといった話を聞く機会が何度かあったが、実に恐怖である。いきなり頭に袋をかぶせられて拉致されて、知らない場所で、取り調べ官から身に覚えのない罪の尋問を延々と行われるのだという。「一番怖いのは、私がこうして社会と隔絶されたところで監禁されていることを、家族も友人も誰も知らないということ。このまま私が消えても、誰も私の身に何が起きたかを知らないまま」と彼らは語った。

 それは中国では、さほど特別なことではないのだ。私も消えることがあるかもしれないと思う。だから、もし私が消えたら、どっかに監禁されて尋問されているかもと思って、とりあえずがんがん報道してほしい。

【新刊】習近平王朝の危険な野望 ―毛沢東・鄧小平を凌駕しようとする独裁者

 2017年10月に行われた中国共産党大会。政治局常務委員の7人“チャイナセブン”が発表されたが、新指導部入りが噂された陳敏爾、胡春華の名前はなかった。期待の若手ホープたちはなぜ漏れたのか。また、反腐敗キャンペーンで習近平の右腕として辣腕をふるった王岐山が外れたのはなぜか。ますます独裁の色を強める習近平の、日本と世界にとって危険な野望を明らかにする。
さくら舎 2018年1月18日刊