孟宏偉とはどんな人物か

 さて、ICPO総裁という国際機関の要職につき、妻子ともにフランス・リヨンにいた孟宏偉はなぜ突然帰国したのか。そして帰国した北京空港で身柄拘束され、違法行為(おそらく汚職)容疑で取り調べを受ける羽目になったのか。このあたりのことは、現段階では全くわからない。だがわからないからこそ、ゴシップコラム書きとしては、いろいろ想像を掻き立てられる。

 まず孟宏偉とはどんな人物か。1953年ハルビン生まれ。文革後期の1972年から共産党府活動に参加、75年に入党。北京大学法学部を卒業後は、頭が良かったのであろう、中南工業大学管理工程専科を卒業して工学博士の学位も取っている。1989年のチベットにおけるパンチェン・ラマ10世の暗殺疑惑がある急死事件当時、同姓同名の人間が臨時警衛任務の責任者であったことから、暗殺(疑惑)事件の実行犯の一人ではないか、という噂が付きまとう。

 習近平の政敵として2013年に失脚させられた周永康が公安部長時代の2004年、公安副部長、ICPO中国国家センター長に取りたてられており、周永康閥の主要メンバーのひとりと目されていた。2012年3月には次長職(党委員)継続のまま国家海洋局副局長、海洋警察局長に任ぜられたのは周永康の威光がまだ残っていたからともいえる。だが、周永康失脚が確定後も連座せず、2016年にはICPO総裁に初の中国人官僚として選出され海外駐在勤務についているからには、それなりに習近平からも信頼されるだけの有能な人物という評価もあった。

 習近平政権は2014年から「キツネ狩り行動」と呼ばれるキャンペーンを張って海外逃亡腐敗官僚・公務員の逮捕、中国送還に力を入れてきたが、孟宏偉がICPOトップになったことで、国際指名手配の発行や中国司法機関と逃亡先国家の地元警察との連携などがスムーズになったという評価が2017年1月の段階では中国公式メディアなどで報じられている。つまり孟宏偉は忠実に習近平政権のもとで職務を果たしていた、と思われていた。

 ところが2017年暮れあたりから風向きが微妙になっていた。まず2017年12月に海洋局副局長、海警局長職が解任され、2018年4月には公安部の党委員から外された。2018年1月に全国政治協商委員(参院議員に相当)という名誉職に選出されたので、単なる年齢的な引退だろうという説と、失脚の前触れではないか、という説が出ていた。結果から見れば、失脚の前触れであったということになる。

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