かつて新聞社の奈良支局で文化財担当だった経験を振り返れば、確かに700年前の石造文化遺産を保護するというには、ずいぶん雑で荒っぽい方法をとったものだという気がする。そもそも、保護層がすぐ風化するようなもろいものならば、景観をそこまで損なう保護層など本当に必要あるのだろうか。経年劣化そのものに文化遺産の価値を高める魅力がある石造文化遺産の保存修復は、風化プロセスのモニタリングや経年劣化の定量化測定も含め、土木工事というよりは科学技術の分野であり、もう少し繊細なものではなかったか、と思う。

でか過ぎる。早過ぎる。持ち去られる…

 もっとも長城保護の問題は、普通の石造文化遺産保護のやり方では通用しない困難な問題もある。

 まず、遺跡がでかすぎる。

 総延長2万1196.18キロ、世界最大の歴史的建造物遺構の文化遺産である長城は、もともと秦の始皇帝の時代に建設が始まった。そのほとんどは風化しており、もっとも最近に作られた明時代の部分の6259キロ中、残存部は2500キロ以下で、比較的保存が良好で景観をとどめている部分が513.5キロ。さすがに、この残存長城すべてを、最先端の科学技術でもって保存するということは財政的にも不可能だろう。

 長城保護条例を国務院が発布したのは2006年。今年でちょうど10年目だ。以来、毎年1億元が野長城保存に投入されているという。2000年から2016年まで北京市は45キロの野長城を修繕したが総額3.67億元がかかっている。専門家によれば1メートルの危険個所を固定するだけで1万元以上、1メートル分の磚を修繕するだけで2万元かかるとか。北京など比較的財政に余裕のあるところはまだいいが、野長城が残っている地域はだいたい貧困地域。河北省張家口の長城遺構は約1800キロに及ぶが長城管理署職員はわずか3人。これでは保護保存もくそもない。

 もう一つの問題は、長城の消失スピードの早さだ。1984年に万里の長城残存部を踏破したという董耀会によれば、その当時から約20年の間に約2000キロ、つまり明時代遺跡の3分の1が消失したという。

 消失の原因は、壁全体の倒壊、烽火台の磚脱落、風雨の浸食などに加えて、非常に中国的な理由がある。地元民らによる長城の破壊だ。つまり長城から磚を勝手にはがして、住居や家畜小屋の建築資材として持ち去ったり転売したりする問題が深刻で、改革開放以降の30年あまりで消失した万里の長城の約半分は、この農民の磚、石材持ち去りが原因とみられている。

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