ネットでは「爆破するよりひどい修復」「こういう仕事をする低能官僚がいるから、地元経済がよくならない」「これもワイロの結果か!」「ちゃんと(修復プロジェクトを)審査したのか? どのようにお金を使ったのか? 誰が審査し、誰が施行したのだ?」と、当局に対する激しい非難の声があふれた。

荒涼とした趣はコンクリと白灰土の下に

 小河口長城は、遼寧省と河北省の省境に残る明時代の長城の主幹線であり、険しい燕山山脈の稜線に長さ8.9キロ、31座の敵楼、18座の戦台、14座の烽火台を残している。明の洪武14年(1381年)に青磚と白灰土で修繕され、防衛能力や軍用物資備蓄能力といった機能もさることながら、堅牢な外観に、敵台などの門枠に掘られた精緻な花紋など、芸術性も備わった歴史的遺跡だ。

 2014年の修復前は、低木に覆われる稜線上に、崩れかけた石積がかろうじて残るような状態の部分が多く、それはそれで、700年間、人の手が入っていない荒涼とした趣があり、そこにたどり着くまでの険しい山道の疲れをかみしめながら悠久の歴史に思いをはせるには絶好の風景である。

 だが、長城の風化が激しく、1メートル以上の石積みの壁は大雨などが降ればいつ崩れるかもわからぬ危険もあり、放っておけば長城の消失にもつながるとあって、修繕の必要性が指摘されていた。

 問題は修繕の仕方だった。新京報によれば、施工者は「白灰土とコンクリートで壁面と路面を固める」という発注を受けていた。修繕の目的は倒壊崩落の危険を防ぐと説明されていたという。問題の写真に写っていた部分は、1、2キロの稜線に連なる野長城で、修繕前は磚は砕け、地面が露出し、壁部分は崩れていた。

 3か月にわたる工事終了後は、もともとあった崩れた壁や青磚の残骸は全部のっぺりしたコンクリートと白灰土の舗装路に変わっていた。ただ崩落防止のために固めたというには、その舗装路の表面は非常に薄く、棍棒でたたくとすぐはがれるような代物で、最も薄い舗装部分は爪ぐらいの薄さ、という指摘もある。

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