文革で苦労した習近平一家

 多くの知識人にとっては、悪夢であり、中国が最も野蛮であった暗黒期という認識の文革時代だが、いわゆる本当の意味での知識人ではなかった習近平にとっては、思春期に毛沢東思想にどっぷりつかったときの精神的刷り込みの方が強烈であった。あるいは自分が毛沢東のようになるつもりであり、そのために毛沢東のやったことは全部正しかった、と言いたいのかもしれない。習近平は本気で、文革時代は貧しくとも皆が清廉であった理想の時代、とか思っているかもしれない。いずれにしろ、習近平が理解している唯一の権力とは、毛沢東そのものであり、習近平が知る権力掌握、権力維持の唯一の方法は階級闘争であった、といえる。

 文革時代、習近平の父親の習仲勲は迫害に遭い、習近平自身も下放先で苦労しているはずだ。なのに、なぜここまで文革と毛沢東に対して強い思い入れをもちうるか、については、米国のニューヨーク市立大学政治学教授の夏明がラジオ・フリー・アジアの取材に次のように分析している。

 「習近平とその取り巻きたちは、彼らのなじんでいるロジックで中国の歴史と未来を見ている。つまり彼らの思想形成期は中国史上最も暗黒で貧しく野蛮な人類の悲劇の中で形成された。習近平ら50年代生まれのイデオロギーと思想、世界観は一種のストックホルム症候群(人質が犯人に過度の好意や共感を持つこと。無意識の生存戦略)的なもので、迫害時代のいけにえのようなものではないか。あの時代にのみ理解可能な生命の意義、あの時代の枠組みでのみ解釈できる生存の価値というものがあり、それに一種の懐かしさを覚えるのだ。習近平のいかなる行動、思想もあの時代の結果として培われたもので、あの時代を超えるものにはならない。……我々にとってより大きな悲劇は、そういうあの時代が生んだ指導者が、50年前の思想をもって、未来を見ていることだ。すでに歴史が過ちであったことを証明している毛沢東のやり方を維持して、未来の新時代の人々の上に用いようとしていることだ」

 次に中国人の歴史観から考えてみよう。

 文革について毛沢東にも過ちがあったと決定したのは、文革終結後に最高指導権力を掌握した鄧小平である。1980年8月 イタリアの記者ファルチの取材を受けたときに「彼(毛沢東)は晩年、過ちを犯した。特に文化大革命における錯誤は、党と国家、人民に多大な災難をもたらした」と発言。1981年6月27日の第11期六中全会において「建国以来の党の若干の歴史問題於ける決議」で、明確に文革を“指導者の錯誤の発動であり、反動集団に利用され党と国家、各民族、人民に深刻な災難となる内乱をもたらした”と性格付け、毛沢東を名指しで、“全面的に長時間の左傾による深刻な錯誤によって主要な責任を負うべきである”と批判したのだった。

 昨年秋の第19回党大会後に行われた教育重大改革の決定により、この鄧小平の歴史決議は否定され、毛沢東の完璧性を回復させ、文化大革命を肯定的に再評価された。中国共産党の“正史”が、この瞬間、書き換えられたといえよう。