劉暁波について、簡単に振り返っておこう。
吉林省出身で、元北京師範大学文学講師。天安門事件当時は米国留学を切り上げて帰国し、民主活動に身を投じ、四君子と呼ばれる民主活動指導者の一人でもあった。
事件後は反革命罪で投獄され、1991年出所後も他の指導者のように海外に亡命せず、国内で人権と民主を主張続け、さらに二度の投獄、強制労働収容を受けた。その後も、国内にとどまり、2008年12月の「世界人権宣言」60周年のタイミングで発表された、中国の民主化を求める「08憲章」の主な起草者として再び国際社会の注目を浴びる。
だが、これを理由に身柄拘束され、2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の判決が下され、4度目の投獄の身となった。この年の秋、獄中の身で劉暁波は「中国の基本的人権のために長年、非暴力の闘いを貫いた」としてノーベル平和賞を受賞し、中国の民主と人権の闘士としての象徴的な存在となった。
彼は、海外への亡命機会もあり、また米国はじめ多くの外国政府が受け入れも表明していた。だが、中国への影響力を保ち続けるために国内にとどまることを選択した。
待望の出所を前に、末期がん診断の衝撃と疑惑
2019年には刑期を終えて出所することが期待されていた。あと2年待てば劉暁波が帰ってくると、世界の華人人権活動家がどれほど心待ちにしていただろう。在米亡命華人民主活動家の楊建利に以前、インタビューしたとき、彼は今の中国の民主化運動の一番の問題として、影響力のある誰もが納得できる指導者の存在の欠如を憂いていた。例えばチベットにおけるダライ・ラマ14世のような存在である。中国の民主化活動においても、実のところいろいろ派閥や対立もあるが、それを超えて、一つの目的に向かって人心をまとめられるリーダーが必要だ。楊建利は「たとえば、劉暁波なら、」と期待をにじませていた。
つまり、劉暁波は、中国の民主化活動家たちの希望の星であり、逆にいえば習近平政権にとって目下、もっとも危険な人物であった。
だから、2017年6月末、劉暁波が末期の肝臓がんと診断されて、突如、遼寧省錦州市の監獄から病院への仮出所が認められたことについては、世界中で衝撃と疑惑が走った。
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