中国の農村で、村民が土地の強制収容問題などで当局サイドと対立して抗議デモを行う、あるいは官民衝突に発展するという事件は実は中国全土で毎日、何百件という頻度で起きている。だが、なぜこの村の事件が、海外メディアまでに、ここまで注目されるのか。

 それは間違いなく、この村が烏坎村だからだ。

烏坎モデルは汪洋の遺産

 2011年9月21日から翌年3月にかけて、通称“烏坎事件”と呼ばれる、村民デモと地元警察の衝突、そして村民自らが立ち上げた自治組織による村政の奪還を実現する一連の事件が起きた。きっかけは当時の村の書記兼村長らが農地を勝手に不動産企業に7億元で譲渡したこと。村民には一人500元というわずかな補償金(全村で約400万元)を渡しただけで、残りを書記ら一部役員で着服していた。村の青年たちはこの土地汚職の真相究明を求めデモを繰り返していたが、9月21日、3000人規模に膨れ上がった抗議デモは地元警官隊と衝突、10人以上の負傷者と4人の逮捕者を出した。村民たちは自ら投票で選出した村民代表による自治組織、臨時村民代表理事会を結成して、旧来の党支部書記ら村民委員会の役員たちを追い出した。

 土地収用汚職事件については上級市である陸豊市が調査班を送りこんで調査することになったが、村民が選挙によって自ら選んだ臨時村民代表理事会は違法組織ということになり、副会長として土地収用汚職事件の追及を中心となって行っていた薛錦波が12月9日に不当に逮捕された。だが、12月11日に薛錦波は警察の拷問により死亡。村民の抗議活動はこれでますます激化した。村民暴動を恐れた当局は武装警察を派遣して村の電気水道などライフラインを断ち、兵糧攻め作戦を展開し、報道規制も行うのだが、出稼ぎにいっていた村の若者たちがインターネットやSNSを駆使して、世界にこの事件を発信。当局の報道規制の網をかいくぐって外国メディア記者たちを村内に手引きし、外国メディアにも報道させた。この時点で、すでに事件のテーマは土地汚職問題解明ではなく、村民の自治組織を違法組織とするか中国当局として村民の委託を受けた正式の組織と認めるかという“民主化”の容認問題となった。

 結局、事態の拡大を恐れた当時の広東省党委書記の汪洋は、当時の広東省副書記の朱明国を現地に派遣し、村民自治組織の正当性を認めるべきだとする朱の報告を受けて、翌年1月、旧党支部を解散、臨時村民代表理事会顧問の林祖恋を新たに党支部書記に任命し、2月に村民委員会選挙を行い、新しい村長、村民委員を選出しなおした。このとき選出された村長は、自分は一村民委員に立候補したのであって、村長の任は荷が重いと辞退。3月に再度選挙を行い、林祖恋が村長も兼任することになった。

 広東省党委員会が村民の自治組織の正当性を認め、村の旧党組織を解散させたということは、“草の根民主”の勝利だと当時は外国メディアも盛んに報道した。広東省書記であった汪洋の決断が大きかったので“汪洋の遺産”という人もあった。また“烏坎モデル”が周辺の農村にも広がり、広東省で草の根民主が広がるのではないかという期待も出てきた。