その後、尋問が始まるが、依然、彼が何の罪を犯したかも教えてもらえなかった。相手は、林に二つの条項についてサインするよう求めた。まず家族と連絡をとることを放棄すること。そして、弁護士との連絡を要請しないと承諾すること。

 「このとき、自分は孤立無援で、だれにも助けを求められないのだと思い知った」と振り返る。さらに尋問者は銅鑼湾書店における林の職位と銅鑼湾書店のオーナーとの関係性、何のために本土に禁書を販売するのか、といったことを尋ねられた。林は銅鑼湾書店は合法的な書店だと主張するも、尋問者は「本土に禁書を持ち込んだり配本したりすれば本土の刑法に背くのだ」と指摘。また、習近平のスキャンダル本などの筆者や資料にかんする尋問も行われた。たとえ香港で出版されたものでも、本土に配本することはできず、後日にこの問題の取り調べが行われる可能性があるのだと説明した。

 林によれば「拘留期間中、特に激しく暴言を吐かれたり、暴力を振るわれるなどのことはなかったが、精神的圧力は非常に大きかった」という。寧波に拘留中の五カ月間、小部屋に押し込まれて電話もできず、活字を読むことも許されず、尋問が続いたのだから当然だ。尋問者は、どうやら禁書の筆者・編集者、購読者の資料をほしがっているようだった。自分以外の銅鑼湾書店関係者が寧波で拘留されていることは耳にしたが、彼らがどのような状況にあるかは知る由もなかった。

欲しいのは補償ではなく、自由だ

 2月の終わりに、香港フェニックステレビから軟禁先で取材を受けた。これは“監督”と“台本”のある完全なヤラセであった。もし彼らが満足のいかない取材となれば、やり直しをさせられた。林栄基は台本通りのセリフをカメラの前で言わざるを得なかった。

 3月になると、韶関に移送された。韶関の監視は寧波ほど厳しくはなかった。

 林は尋問者、監視人に香港に帰り家族に会いたいと何度も要求してきた。尋問者は、もし会社が保有している禁書購読者リストの入ったハードディスクを提供すると約束するなら応じてもよいと返答された。だが林は、その要求を最後まで拒み続けた。林によれば、中央政府はそのときすでに、銅鑼湾書店の購読者リストを手に入れていたようである。林は「ハードディスクの中身を李波がコピーをして渡したはずだ。リストは500~600人に上り、ほとんどが本土の顧客で、その顧客たちは4000冊以上の本を購入していた」という。自分の尋問は、李波が提供した資料に基づいて行われたのだと考えた。

 また、韶関にいるとき、軟禁状態の林の性的欲求に付け込むように、ある深夜午前一時ごろに二人の女性が訪ねてきたことがあったという。おそらくは当局が買春の罪をかぶせるために林に仕掛けた罠であろうと思われる。林はドアを開けないまま「何かの間違いだろう」と答えて追い返したという。またある時は、10万元の補償金をやるので書店を閉店させよ、と尋問者から持ち掛けられたこともあったという。林は「欲しいのは補償ではなく、自由だ」と答えた。