就任式では国歌を歌うのだが、蔡英文は声を出して、これを全部歌っていた。中華民国国歌はもとは国民党歌である。歌のフレーズに「三民主義、吾党所宗」(三民主義をわが党の宗とする)とあり、この党とは国民党のことなので、民進党員はこの部分を歌わないという慣習があった。彼女も今年の元旦の桃園市の国旗掲揚式のときに、この部分は歌っていなかった。だが、就任式では、おそらく初めて全部これを声に出して歌っており、中華民国総統という立場で、現実的な妥協をしていく姿勢を見せたといえるだろう。

 就任宣誓式が終わったあと、総統府前では2万人以上の来客の前で、就任祝いの歴史劇「台湾之光」が上演された。これは台湾400年の歴史を約40分でたどり、今の台湾アイデンティティに至る道筋を整理したのものだが、そこで二・二八事件の惨劇を再演したのは極めて斬新で挑戦的な試みだったといえる。もちろん日本統治時代に日本の軍人が民衆を高圧的に徴兵していく様子なども演じられているのだが、その後に演じられている二・二八事件の虐殺の様子がすさまじく、国民党政府がどのように台湾を接収したかをあからさまに見せ、台湾人が植民地支配した日本から被った圧力がずいぶん甘いものに見える演出となった。こうした国家行事で二・二八事件を真正面から取り上げるのもこれが初めてだ。

中国に妥協した「玉虫色」にも見えるが…

 注目の就任演説自体は中国にも配慮しつつ、よく言えばバランス感覚のとれた、悪くいえば玉虫色のものとなった。

 演説のほとんどは内政問題の解決にむけた約束である。年金制度改革、若者の境遇改善、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)・東アジア地域包括的経済連携(RCEP)を含む多国間および二国間の経済協力・自由貿易交渉への積極参加、セーフティネット強化、歴史問題の和解に向けた処理、先住民族の尊重、司法改革への前向きで熱意ある姿勢を打ち出した。国際社会が注目する中国との関係については次のような表現を使った。

 「私は中華民国憲法に基づいて総統に当選したのであり、中華民国の主権と領土を守る責任があります。東シナ海、南シナ海での問題に対し、我々は争いの棚上げと資源の共同開発を主張します。

 台湾海峡両岸の対話と意思疎通では、既存のメカニズムの維持に努めます。1992年に両岸の交渉窓口機関が、相互理解、並びに“求同存異”(合意点を求め違いは棚上げする)という政治的な考え方を堅持して話し合い、若干の共通の認識と理解に達しました。

 私はこの歴史的事実を尊重します。1992年以降20年あまりの交流と協議の積み重ねで形成された現状と成果を、両岸は共に大切にして守っていかねばなりません。そして今後も、この既存の事実と政治的基礎の下で、両岸関係の平和で安定した発展を引き続き推進していくべきなのです。新政権は、中華民国憲法、両岸人民関係条例、並びに関連の法律に基づいて両岸業務を進めていきます。…」