「法治唱えると独裁肯定」の矛盾

 現行の1982年憲法は習近平の父親で開明派政治家で知られる習仲勲が中心になって、文革の残滓を払拭するために作った憲法であった。習仲勲は、文革憲法と根本的に違う市民の権利の根拠を示す憲法をつくろうとしたので、あえて憲法条文に「党の指導」という文言を書き入れなかった、というエピソードはすでに前々回の拙コラム欄で紹介したとおりである。

 習近平は、さすがに前文に党規約と同様の「党の一切の指導」という強い文言を入れることはなかったが、条文では明確に「党の指導」を入れてきた。党規約には「習近平を核心とする党中央」という言葉が入っているので、習近平独裁はこれで憲法に裏付けされる、ということである。独裁を肯定した文革憲法から市民権利擁護の82年憲法を作った父親の思いを、息子の習近平は踏みにじったということになる。

 これまで反習近平派は、習近平の独裁化路線が憲法に矛盾するとして、憲法を根拠に批判し、憲政主義を守れ、法治に戻れと主張していたのだが、憲法の方を習近平路線に変えてしまった。今後は、法治を唱えるほどに、独裁を肯定するという矛盾に民主派、新自由派人士は、苦しむことになった。

 ところで、こうした憲法修正案は1月半ばに行われた二中全会ですでに可決していたはずである。だが、二中全会コミュニケでは、この内容が公表されず、異例の三中全会の招集がかかった後に公表された。このタイムラグが何を意味するのか。そもそも、二中全会開催から一カ月ほどの間しかおかずに三中全会が開かれるのはなぜか。

 三中全会は改革開放以来、党大会翌年の秋から冬にかけての間に開催されてきた。党大会で新政権が発足し、その翌年の春に新政府が発足し、その新政権・新政府(党と国家)がその任期中に執り行う経済・政治・社会の政策、改革の方向性を三中全会で打ち出すのである。だが、今回の三中全会はかなりイレギュラーであり突然であり不穏である。誰もが第11期三中全会(鄧小平が、毛沢東の後継者である華国鋒を失脚させて実権を握った)と同じような、尋常ならざる政治の空気をかぎ取っている。

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