二中全会のコミュニケは発表されているが、その中では「憲法修正は、次の原則をもって貫徹されねばならない。つまり、党の指導の堅持、中国の特色ある社会主義法治の方向性の堅持、政治の方向性の堅持。…習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想をもって、憲法の規定を高めてゆく」といった抽象的な表現にとどめている。

 しかしながら、今回の修正は鄧小平路線から習近平路線への転換を体現するものではないか、それならば、82年憲法がこれまでたどってきた修正の方向性とは反対の、文革憲法への逆行を示す修正ではないか、という見方が各方面から出ている。

現実は「党の指導」が上位

 例えば、在米華人政治評論家の高新が香港を拠点とするラジオ・フリーアジアでこんな指摘をしている。

 「82年憲法は、習仲勲が議長であった第五期全人代第5回全体会議上(1982年12月4日)、無記名の投票方式で可決された。…(習近平の父親の)習仲勲はいわゆる文革憲法(75年憲法)を否定する目的で82年憲法の制定に参与した一人である。…(今度の修正による)習憲法はこの(文革否定を基礎とした)82年憲法を否定する可能性がある。それは私が年初に書いたコラム『東西南北中、党政軍民学、総書記兼総統が一切を指導する』の中ですでに予測している」

 高新によれば、開明派政治家として知られる習仲勲は82年憲法制定当時、党が法の下にある法治の実現によって、法治を否定する文革そのものを否定したいという考え方であった。これは82年憲法を起草した一人、高楷が「炎黄春秋」誌で発表した回顧録の中でも示されている。

 だから82年憲法では条文で「中国共産党が国家を指導する」という事は明確に規定していない。75年憲法には30ある条文の中で4条にわたって「党の指導」を規定している。もちろん82年憲法の序文には「党の指導」という言葉はあるのだが、それは共産党史の叙述の中での表現であって、序文の結びは「この憲法をもって、法律の形で、中国各民族人民の奮闘の成果を確認し、国家の根本制度と根本任務を規定し、各政党、各社会団体、各企業、事業組織、すべて憲法を根本的活動基準とし、憲法遵守を維持し、憲法の実施を保障する職責を負わねばならない」だ。

 しかも、82年憲法制定に先立つ82年9月に行われた党規約改正では「党は憲法と法律の範囲内で活動しなければならない」という規定も盛り込まれた。ただその後、天安門事件が起き、習仲勲も1990年に突如全人代常務委員会副委員長職をやめて隠居し、こうした習仲勲の考え方は、事実上党内で完全に否定された。現実は、党の指導は憲法の上位にある。