大学教授時代を経て、李登輝政権時代、請われて行政院経済部国際経済組織の首席法律顧問となったのが政界に足を踏み入れるきっかけとなった。GATTとWTOの台湾加入交渉に関わったほか、李登輝とともに台湾と中国が特殊な国と国の関係であるとする「一辺一国論」の起草にも関わる。

 陳水扁政権1期目の2000年から2004年は行政院大陸委員会主任委員となり、この時の世論調査では最も満足度の高い閣僚として評価された。この時「小三通」と呼ばれる、中国台湾間の春節時期の直行便を含む中台直接交流が大きく進んだ。

 陳水扁政権2期目の2004年から民進党に入党し、立法委員(国会議員)に比例6位で当選。2006年から行政院副院長(副首相)となり、この時の仕事ぶりも世論調査で高い評価を得た。

敗北から4年、生真面目に「団結」

 2008年の総統選で代理党主席の謝長廷候補が惨敗すると、世論の評価の高い蔡英文が台湾初の女性党主席となる。だが、党員歴の短い若き女性党主席は台湾特有の儒教的女性蔑視、年少者蔑視もあって、長らく党内分裂状態に悩まされる。

 それでも2012年の総統選では初の女性総統候補として健闘。80万票差で現職・馬英九総統に惜敗する。この時の敗因は、中国の後方援護と米国の投票日直前になっての馬英九政権支持表明が大きかったと言われている。事前の世論調査での支持率はずっと民進党がリードしていただけに、国民党の底力を見せつけた格好だった。蔡英文は敗戦の責任をとって、党主席を辞任した。

 この敗北から4年、蔡英文にとっては、空中分解しかけていた党内団結に腐心する日々であったという。

 こうした来歴から見ると、彼女は非常に頭脳明晰な学者肌に近い官僚肌の実務向き人物である。また、バランス感覚もよい。だが政治家に求められる"オーラ"に欠けるとも言われてきた。また、あまりにクリーンで生真面目なため、台湾政界を渡っていくためにある程度必要な腹黒さや駆け引き、米国への媚の売り方が足りないとも言われていた。2012年の総統選は明らかに、米国に気にいられなかったことが重要敗因の1つだと分析されてきた。だが、この敗戦後の4年間、彼女はやはり生真面目に、対米関係を研究し、党内の年上の政治家たちにも気を使い、演説テクニックも目をみはるほど向上している。