本欄の執筆者松浦晋也氏は、科学分野全般のジャーナリストである。今回は番外編として「ニホニウム」の発見・命名について書いていただいた。(編集部)
原子番号113番の新元素に、「ニホニウム」という名前が付いた。理化学研究所の森田浩介グループディレクター(九州大学大学院理学研究院教授と兼任)が率いる新元素探索チームが、理研の加速器を使用して生成に成功したものだ。
そこに山があるからだ――人間の営みの一部は「そこに目標があるからやる」という自己目的的なものだ。新元素の探索は、科学の中でもかなり自己目的的な色彩が強い。新元素の存在は、その可能性だけでなく性質も、現代の原子核物理学で予想することができる。
それでも「だったらなにも本当に作らなくてもいいのでは……」とはならないのはなぜか。
歴史的にはちょっとしたきっかけで決まっている元素名
今回の元素名は「日本」由来のものとなった。国名が元素名となった例は、ポロニウム(ポーランド)、アメリシウム(アメリカ)、フランシウム(フランス)がある。そのほか欧州にちなんだユーロビウムという元素や、ドイツの古名ゲルマニアにちなんだゲルマニウムもある。
実のところ歴史的に見ると新たに発見された元素の名前は、ちょっとしたきっかけで決まっていたりする。有名なのはスウェーデンのイッテルビー(Ytterby)という小さな村で、この村で産出するガドリン石という鉱物から次々に新元素が発見されたことから、イッテルビーという名前の一部を使ってエルビウム(Erbium)、テルビウム(Terbium)、イッテルビウム(Ytterbium)、イットリウム(Yttrium)と、4つもの元素が命名されている。
が、今や、天然に存在する元素はすべて見つかっており、現在の新元素探索は核反応を使って人工的に新元素を生成するものになっている。
せっかくなので、ここで高校の物理のおさらいをしよう。
原子は中心の原子核とその周囲の電子から成る。原子核はプラスの電荷を帯びた陽子と電気的に中性の中性子で構成される。原子核の中の陽子の数を原子番号といい、この数が元素の性質を決める。陽子と中性子の数の合計は質量数という。同じ原子番号でも中性子の数によって質量数の異なる原子核があり得る。これが同位体だ。東京電力福島第一原子力発電所の事故で名前が知られた放射性物質セシウム134とセシウム137は、それぞれ原子番号55のセシウムの同位体である。後ろについている134と137は質量数、つまり陽子と中性子の合計だ。
だから、セシウム134の原子核は陽子55個と中性子79個で構成され、同137は陽子55個と中性子82個から成る。
もっとも安定した原子核は原子番号26の鉄の原子核だ。これよりも軽い元素の原子核も、重い元素の原子核も、鉄よりは不安定である。もっとも軽い水素やヘリウムの原子核はくっついて核融合を起こしてエネルギーを発生するし、重いウランやプルトニウムの原子核は割れて核分裂を起こし、同じくエネルギーを発生する。
軽いほうは原子番号1の水素が一番軽く、それより軽い原子核はない。重い方は、どんどん陽子と中性子がくっついていけば、重い原子核となるが、重い原子核ほど不安定になり、天然には存在しにくくなっていく。実際には安定性には原子核物理学に基づく規則性があって、単純に重いほど不安定というわけではないが、それでも重い原子核になるほど不安定になっていくという傾向がある。
天然にある程度まとまった量が存在する元素は原子番号92のウランまで。それから上の重い元素は、原子炉や加速器の中で人工的に作るしかない。
113番実在の証拠は、元素の崩壊パターン
理研の森田チームは、2003年から原子番号30の亜鉛と83のビスマスを加速器内で衝突させて核融合反応を起こし、30+83=113の新元素の原子核を作る実験を開始した。
といっても、生成の確率は非常に低く、できたとしても、その原子核の数は1~数個といったところだ。ではどうやって、生成したことを証明するかというと、原子番号113の原子核は非常に不安定なので、すぐに別の原子核に変化し、変化した先も不安定なのでまた変化し、と、どんどん変化して崩壊していく。この崩壊のプロセスは原子核物理学で予想できるので、生成した原子核の崩壊の様子を観測して、「確かに113番目の元素の原子核ができていた」と確認するわけだ。
崩壊のパターンは複数存在するが、113番元素の場合、立て続けに6回、アルファ粒子を放出する「アルファ崩壊」を起こすという他の元素にない特徴がある。6回連続のアルファ崩壊が観測できれば、確かに113番元素が生成された、という証拠になる。
森田チームは2004年7月23日に最初の合成を確認した。この時は4回連続のアルファ崩壊の後、核分裂を起こすという崩壊パターンだった。2005年4月2日にも、同じ4回連続のアルファ崩壊の後核分裂というパターンを観測。そして2012年8月12日、ついに6回連続のアルファ崩壊を観測し、113番元素が生成した決定的証拠を手に入れた。
新元素の生成は国際的な競争になっており、米ロ共同の研究チームが、2004年2月に113番元素の生成に成功したと発表していた。が、こちらは確実性が低いということで、新元素の認定を行う科学者の組織国際純正・応用化学連合(IUPAC)は、発見とは認めなかった。2015年12月31日、IUPACは113番元素を含む4つの新元素(113番元素、115番元素、117番元素、118番元素)の発見を認定し、それぞれの発見者に命名権を与えた。発見者となった森田チームは日本にちなんだ「ニホニウム(Nihonium)」という名前を提案。2016年6月8日に公表された。
この名前は、今後5カ月間の一般からの意見公募期間を経た上で、2017年6月頃に正式名称として決定する見通しとなっている。
「予測と違う」ことの発見こそ
この宇宙で元素の数は有限で、しかもそのほとんどは既に発見されて名前が付いている。新元素を発見し、命名するということは人間社会において大きな名誉であることは間違いない。「国名にちなんだ名前」となると、国の名誉までかかることにもなる。
「発見そのもの」も、もちろん大きな、意義のある目標だ。
が、それ以上に、科学としては「実際に作ったら予想とは違う結果が出て、既存の原子核物理学が進歩するきっかけとなるかもしれない」という期待がある。
今や原子核物理学はまだ見つかっていない元素の原子核の性質を予想することができる。しかし「予想できること」と「実際に観測したこと」は、たとえ同じ結果であっても意味の重さは段違いだ。
自然は常に人間の予想を裏切る。自然の裏切りは、新たな知見であって科学を進歩させる力となる。そしてどの分野のどんな局面で裏切りが発生するか、人間には予測できない。だから、科学の営みは常に全方位的である必要がある。
ビジネス社会においては正しいこととされる「選択と集中」は、自然科学では人間の自然に対する敗北宣言に等しい。
自然科学は、その本質として「興味を持ったらなんでも研究する」という性格を持っている。予測を裏切る結果がみつかるのは、それゆえでもある。だから、理研・森田チームによる113番元素生成を、「なんのための実験か分からない」「そこまで予算を費やしてまでやるべきことなのか」と言うべきではない。
新元素生成の国際的な競争は、全方位的な自然科学の持つ性質の、ひとつの現れなのである。
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