5月24日、3月28日にトラブルを起こして機能を停止し、4月28日に復旧を断念したX線天文衛星「ひとみ」の「異常事象調査報告書」が、宇宙航空研究開発機構(JAXA)から文部科学省・宇宙開発利用部会・X線天文衛星「ひとみ」の異常事象に関する小委員会に提出された。
一言で言って、日本では珍しい、かなり“攻めた”内容の中間報告である。
事故が起きた原因は、今回の中間報告でほぼ判明した。そして、報告書からは、宇宙科学研究所(ISAS、以下宇宙研)という組織にかなり大きな問題があったらしいことが読み取れる。
この報告書は、組織文化の問題まで遡って原因を究明しようとする姿勢を見せている。よくここまで関係者がきちんと証言するだけの、話しやすい環境を作ったと思う。
前回、この連載で「JAXAから独立した強い権限を持つ事故調査委員会を立ち上げ、調査対象となる関係者に免責特権を与えて、すべての情報を引き出すことが必要」と書いたが、小委員会による事故調査はどうやらその方向に向かっているようだ。ぜひとも組織文化や歴史的経緯まで踏み込んだ、今後の事故調査の規範となるような最終報告書を作成してほしい。それが、この事故から最大限の成果を引き出す唯一の道だろう。
X線天文観測衛星「ひとみ」の概要(事故調査報告より)
「STT異常」から始まった
まず事故の経緯のおさらいをしよう。
JAXA、X線観測衛星「ひとみ」の復旧を断念(5月2日掲載)の記事からごく簡単にまとめる。
衛星「ひとみ」は、自分の姿勢を調べるスタートラッカー(STT)というセンサーの信号が慣性基準装置(IRU)という機器に伝わらなかった(STTにリセットがかかったらしい)ことがきっかけで、実際には一定の姿勢を保持しているにも関わらず「回転している」と誤認。回転を止めようとして逆に回転し始めてしまった。次に、機体を一番安全なセーフホールドモードに入れようとしたが、搭載ソフトに与える、スラスター(小さなロケットエンジン)で姿勢を変える際に使用するデータの一部が間違っていたために、さらに回転が加速し、ついに遠心力で太陽電池パドルと、観測機器を載せた「伸展式光学ベンチ(EDB)」がちぎれてしまった。
詳細は前回記事末尾のこれまでに判明している、ひとみ喪失事故のプロセスを参照してほしい。
事故の経緯を示す模式図(事故調査報告より)。一定の姿勢を保持しているにも関わらずひとみは自分が回転していると誤認し、回転を止めようとして逆にゆるやかに回転し始めてしまった(左)。その結果姿勢を変えるためのリアクション・ホイールという装置の回転数が上限に達してしまい、緊急時にもっとも安全な姿勢をとるセーフホールド・モードに入ろうととした。ところが、姿勢制御の噴射に必要なデータが間違っていたために、より一層高速に回転するようになってしまい、太陽電池パドルと伸展式光学ベンチがちぎれてしまった(右)。
事故調査が示す、衝撃的な「なぜ」の連鎖
事故の直接原因は「搭載ソフトに与えるデータの一部が間違っていた」ためで、間違ったデータが使われたのは「一定姿勢を保持しているにも関わらず、回転していると誤認」したためである。
今回の中間報告が示す「なぜ」の連鎖は、かなり衝撃的だ。
まず、なぜデータが間違っていたか。間違ったデータを送信していたからだった。では、なぜデータを間違ったか。作成したデータをシミュレーターで確認していなかったためだった。なぜ、シミュレーターによる確認が行われなかったか。担当作業者がその必要性を認識していなかったためだった。
なぜ必要性が認識されていなかったか。そもそもひとみの姿勢制御に関するデータを打ち上げ後に書き換えること自体が、その重要性も含めて関係者に周知徹底されていなかったのである。打ち上げ前に作成する「運用計画を規定する文書」にも、書き換えが明確に記述されていなかった。
姿勢制御に関するデータの書き換えというのは、衛星にとってかなりのおおごとであり、間違えれば姿勢を維持できなくなる。
本来なら、関係者に全員周知徹底したうえで、万が一にも間違いが起きないように体制を組んで行うべきものだ。あるいは、予め打ち上げの前に、打ち上げ後のデータもひとみに搭載するコンピューターに書き込んで、軌道上で切り替えるようにしておいて、地上からの操作は調整に留めるべきだった。
重要性が関係者間で共有されていかなったので、データを作成するソフトウエア・ツールの手順書はなく、書き換えのリハーサルもなく、データ作成からシミュレーションを経て実際の書き換えにいたる作業の手順書もなかった。そして、メーカーのみならずスーパーバイザーとなるべきJAXAも、データ変更の運用状況を最終的に確認していなかった。
今回の中間報告の白眉というべき2ページ。EOBというのは伸展式光学ベンチのこと。ひとみは打ち上げ後に、機体の後部に長くEOBを延ばして展開する。このため重心位置が変化するので、展開後に姿勢制御に関するデータを地上から書き換えてやる必要があった。
では、一定姿勢を維持しているにも関わらず回転しているとひとみが誤認してしまった原因の、スタートラッカー(STT)と慣性基準装置(IRU)の問題はどうだったか。
ひとみに搭載したSTTは新規開発品だが、これが性能優先の設計で「実際の使用条件で確実に動作する」ための設計や試験計画が十分でなかった。またSTTは打ち上げ後に動作モードが勝手に変わってしまったり、ひとつのモードから別のモードへの移行に時間がかかったりと不審な動作を繰り返していたが、対応ををきちんとしないまま衛星の動作確認や試験観測などを行っていた。しかもSTTの不審な動作について、衛星管制班から宇宙科学研究所の安全・開発保証の担当者に報告が届いていなかった。
この他にも姿勢制御系全体について、この中間報告ではいくつもの指摘がなされており「衛星の安全性を含めたシステムとしての総合的な検討不足があった」とまとめている。
全体に、衛星を開発した宇宙研の風通しの悪さをうかがわせる内容だ。が、ここで「宇宙研とひとみ開発・運用チームが悪い」と安易に責任論にもっていっては、事故の再発を防ぐことはできない。
事故原因の背後に風通しの悪い組織体質があったならば、なぜそのような体質になったかを調べる必要がある。さらには、もっと遡ってそのような組織体質がなぜできてしまったかという経緯を突き止めねば、本当の問題を指摘したことにはならない。
観測にはやる理学系、歯止めとならなかった工学系
ここからは、中間報告の文言を、自分の取材経験を交えて読み解いてみよう。
JAXA/宇宙研の組織の、どこに問題があったのか。
報告書の中で私が気がついたのは、以下のような記述だった。
粗太陽センサ(CSAS)をセーフホールド移行判断に用いなかった件については、 CSASの線形領域視野(20deg)が観測視野範囲(30deg)に比べ狭いため、太陽方向を視野に納めきれず、不必要にセーフホールドに移行する可能性があった。 このため、ミッションの継続性を優先するユーザの要求を受け、CSASの代わりに ACFSの算出値を用いることとした。
あるいは
姿勢制御系の設計においては、ミッションシステム要求書の要求に関する 記述が偏っており、より良い観測条件を確保する要求は詳細である一方、 安全・信頼性に関する要求が少なく、その結果、 JAXA及び支援業者共に、 安全性を含めたシステムとしてのバランスを欠く結果を招いた。
(共に強調部は松浦による)。
専門的な用語が多くて鼻白まれたかもしれないが、こうした文章から伺えるのは、宇宙研の一体感のなさ、もっと言えば「衛星を使う人」と「衛星システムを作る人」に分裂した姿である。宇宙研には、理学系と工学系の2分野の研究者が在籍しており、衛星やロケットのシステムを研究する工学系の研究者が、理学系の衛星の開発にも参加する。
ひとみはX線天文学の理学系研究者が企画し、立ち上げた衛星だ。彼ら「使う人」からの声に押されるかたちで観測向けの部分を優先し、その分システム面での安全性の確認が不充分になっていたことを、中間報告の記述は示唆している。
「より良いデータ」「より良い観測」にはやる理学系の研究者に対して、衛星システムを担当する工学系からの「それは危ない」というブレーキが十分ではなかったようだ。
しかし、私の知る限り1980年代から90年代にかけてのISASは、こうした理学、工学の区別がなく、非常に風通しの良い組織だったのだ。
問題はすぐに共有され、誰もが議論に参加できる雰囲気がキャンパスに満ちていた。取材に行っただけの私ですら、顔見知りの教授に「おお、いいところにきた」とつかまって、議論に参加させられることがあったほどのオープンな組織だった。そして、宇宙研は今も「理工一体」を標榜し、理学と工学が同じキャンパスにいることを強みとしている。
それが、なぜこんなことになったのか。
ひそかに進行していた理工の乖離
ここで思い出すのは、取材の過程で聞いた、ある宇宙研関係者の言葉だ。
「理工一体というけれどね、昔はそんな言葉はなかったんだよ。当たり前に理学系と工学系は緊密に協力していたんだ。ことさらに理工一体と言わねばならないのは、今、それほどに両者の協力関係が崩れているということなんだ」
――このようにISAS工学関係者に言われたのは、2010年の初頭のことだった。小惑星探査機「はやぶさ」の帰還と、金星探査機「あかつき」の打ち上げを控えて、相模原の宇宙研が慌ただしい雰囲気に包まれていた頃である。
そして、もうひとつ。
「最近の理学の若い人は、メーカーにお金を出せば思い通りの衛星を作ってもらえて、それで自分は観測をすればいいと思っていますね。でもそうじゃない。メーカーの技術者の方は、こちらが出した仕様の通りのものを作るのが仕事ですから、私達が正しい仕様を出すようにしなくちゃいけない。そのためには工学を大切にして、工学の人ときちんと組んで仕事をする必要があるんです」
これは2012年の中頃、小惑星探査機「はやぶさ2」が実現できるかどうかの瀬戸際にあった時に宇宙研の理学系関係者から聞いた言葉だ。
それぞれ聞いた時にはあまりピンとこなかったが、ひとみの事故が起きた今から振り返ると、2010年代の初め頃から危機的な状況は進行していたのだろう。
では、なぜ理工一体が崩れたのか。私はISAS工学系のOBから「文科省がM-Vロケットをなくしたからだ」という意見を聞いている。かつてISASは糸川英夫博士直系のM-Vロケットを持ち、自分達の衛星・探査機を自分達のロケットで打ち上げていた。が、2003年の宇宙3機関統合によるJAXA発足の後、2006年に文部科学省は高コストを理由にM-Vを廃止してしまった。
最後となったM-Vロケット7号機の打ち上げ(2006年9月23日、写真:JAXA)。この2カ月前の7月26日、文科省・宇宙開発委員会でM-Vロケットの廃止が正式に決まった。が、それ以前、2000年頃から文科省(2001年1月までは文部省)はM-Vロケットを廃止する方向で宇宙研へ圧力をかけていた。
「宇宙研の衛星も探査機も、M-Vロケットで打ち上げていた。ロケットを仕切っているのは工学系だから、理学系にしてみれば工学系の機嫌を損ねたくはない。だから理学系は工学系の意見を尊重していた。工学系もロケットに存在意義を与えてくれるのは理学系だから、喜んで理学系と協力した。また、宇宙研は大学の体育会に似たところがあって、大型のロケット打ち上げを所内の全員が力を合わせて実施することで、一体感を得て関係者全員の意思疎通を円滑にしていた。打ち上げごとに全力でお祭りをやって親睦を図っていたようなものだ。その“御神輿”だったM-Vが2006年になくなって、宇宙研はばらばらになってしまった――」
M-Vロケットは宇宙研のロケット研究の到達点であると同時に、その意義を巡って様々な意見がある。「固体推進剤を用いたロケットでは世界最高の最適化を達成した高性能ロケット」、あるいは逆に「小さな組織が保有できるぎりぎりの大きさのロケットで、その存在には無理があった」「M-Vに合わせた大型の衛星・探査機は、宇宙研の計画管理方式で管理しきれるぎりぎりの大きさであり、事実M-V以降、トラブルが続発した」などなど。
M-V廃止の振り返りを含めて徹底的な調査を
それでも、理工の意思疎通の不備がひとみの機能喪失事故の背後に潜んでいるなら――そして当たり前に理工一体を実践していた組織が、ことさらに理工一体をスローガンにしなくてはならなくなった背景にM-Vの廃止があるなら、M-V廃止はひとみの事故までつながっていることになる。
さらに突っ込んで行くなら、なぜ文科省が2006年時点で十分に実績を積んだロケットであるM-Vを、そのまま未来へと発展させるのではなく一気に廃止としたのか、その背後にどのような意志が働いていたのかまで明らかにする必要がある。
実態は、「M-Vを廃止したから理工が離反した」というような単純かつ一直線のものではなく、もっと様々な要因が重なっているはずだ。それでも、ひとみの事故を通じて、M-V廃止という決定が何をその後の宇宙研にもたらしたかを考えることには、今後の誤った意志決定を防ぐにあたって大きな意義があるだろう。
ひとみの機能喪失事故は、どうやら、2003年の宇宙3機関統合によるJAXA発足以降の、「良い組織文化をどのように継承し、発展させていくべきだったか」という、根深い組織の問題を芋づる的に掘り起こす発端となりそうだ。事故調査を通じて組織の抱える問題を徹底的にえぐり、白日の下、議論の前提として開陳することができるかが、今後の日本の宇宙科学、ひいては宇宙開発の明暗を決めることになるだろう。
Powered by リゾーム?