運用断念を発表する常田佐久・JAXA宇宙科学研究所所長
4月28日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、3月26日にトラブルを起こして通信が途絶したX線天文観測衛星「ひとみ」の復旧を断念したと発表した。トラブル発生後に続けてきた調査で、衛星本体が異常な高速回転を起こし、その遠心力で2組装備していた太陽電池パドルが両方とも脱落してしまったことが確実となったためだ。これまで太陽電池パドルが片方でも残っていれば、復旧の可能性があるとして通信を回復する努力を続けてきたが、希望は絶たれた。
復旧断念により、今後の焦点は事故調査に移る。どのようなプロセスで最初のトラブルが発生し、発展し、事故に至ったかは、すでにほぼ判明した。だが、原因究明は事故調査の第一歩でしかない。事故を招き寄せた開発と運用の体制、またそのような開発・運用体制を採用した組織の体質、さらに遡ってそのような組織体質が成立する背景にある行政や政策にまで遡ってこそ、次につながる事故調査と言える。
そのためには、JAXAから独立した強い権限を持つ事故調査委員会を立ち上げ、調査対象となる関係者に免責特権を与えて、すべての情報を引き出すことが必要だろう。
物理現象を調べるだけでは真の事故調査とはいえない
これまでに3月28日にひとみに起きたトラブルは、4つの段階を経て進行したことが分かっている。幾分専門的な内容となるので、詳細は記事の最後にまとめておいた。ごく簡単に説明すると、ひとみは姿勢を調べるスタートラッカー(STT)というセンサーの信号が慣性基準装置(IRU)という機器に伝わらなかった(STTにリセットがかかったらしい)ことがきっかけで、実際には一定の姿勢を保持しているにも関わらず「回転している」と誤認。回転を止めようとして逆に回転し始めてしまった。次に、機体を一番安全なセーフホールドモードに入れようとしたが、搭載ソフトに与えるデータの一部が間違っていたために、さらに回転が加速し、ついに遠心力で太陽電池パドルと、観測機器を載せた「伸展式光学ベンチ」がちぎれてしまったのである。
ひとみの内部構造。後ろに突き出ているのが伸展式光学ベンチ(画像:JAXA)
「一体何が起きたのか」を調べることは、事故調査の基本だが、これだけで終わってはいけない。事故のプロセスからは様々な疑問がわき上がるはずだ。「なぜそんな設計をしたのか」「なぜそんなミスをしたのか」「なぜその部品を使ったのか」「地上での試験はどのようなものだったのか」――などなど、これをたどっていくと、組織が抱える問題や、JAXAとメーカーとの関係、さらには行政や政策が抱える課題まで行き着く。そこまで調べ上げ、問題を指摘してこそ、次なる事故を防止する真の事故調査といえる。
そのために重要なのが、「JAXAの行う調査と並行して、人事的に独立していて、かつ委員が全ての資料にアクセスでき、すべての関係者からの証言を得られるだけの強い権限を持つ事故調査委員会を立ち上げること」と、「関係者全員に免責特権を与えて、すべてをきちんと証言できる環境を作ること」の2つだ。
再発防止を目的とした事故調査のやり方は、米国の国家運輸安全委員会(NTSB)が進んでいる。NTSBは他の官庁から切り離された独立した組織で、航空機や鉄道、船舶などの大規模交通機関の事故調査で強い権限を持っている。警察よりも先に現場を調査する権利を持ち、NTSBが行う関係者への聞き取り調査は民事において免責される。NTSBの目的は「事故の責任者を処罰する」ことではなく「事故の再発を防止すること」だ。そのために、「何を話しても、その内容に基づいたペナルティを受けない」ということにして、真実を証言しやすくしている。
後になって出てくるカッコ付きの「真相」
実のところ、我々日本人は事故責任者への処罰感情が先に立つ傾向があり、「再発を防止する」観点からの事故調査が得意ではない。
特に、関係者の免責に対して拒否反応を示す人は少なくない。「責任者を出せ、処罰しろ」という雰囲気の中では、証言者は自分に不利になるのではないかという恐怖から真実を話せなくなるし、また組織として「身内の責任者を守れ」「組織そのものを守れ」という対応が発生して、組織ぐるみの隠蔽が度々起きている。
そのせいか、過去の宇宙関連の事故調査は、「この様な原因でこのような事故が起きました。そこでこのように対策しました」という物理現象のみの指摘に留まり、その先にある組織や行政、政策の問題を指摘できずに終わっている。これでは、同じ事故を繰り返してしまう可能性を減らせない。
宇宙関連の取材をしていると、後になって「実はあの事故は……」というカッコ付きの「真相」が聞こえてくることがある。これらは噂であって、本当かどうかの確認をとることが困難なので、なかなか記事として書くことができない。
それでも、私がぶつかった事例の中から「もはや時効」と言える古い話を書いてみる。
1998年2月21日に起きたH-IIロケット5号機の事故のケースだ。第2段エンジンの燃焼室に穴があき、吹き出したガスが電気系の配線を焼いてしまったために燃焼が途中で停止し、衛星を予定の軌道に投入できなかった。事故調査報告書(宇宙開発事業団ホームページ:リンク先はウェブアーカイブ)では、エンジンろう付け部の不備が原因の可能性が高いとしている。
また、このエンジンは地上試験で、治具の取り忘れによって“空焚き状態”になり過熱したものの、点検で異常がなかったためにそのまま出荷して使用していた。過熱した部位が弱くなっていて、打ち上げの最中に破れた可能性もある。
ところが、ずっと後になって別件で2段エンジンを製造した三菱重工業のOBに取材した際、この事故が話題にのぼったところ「ひとり困った行動をとった担当者がいた」という話が飛び出してきた。
そのOBによると、地上試験の担当者が空焚きの責任が自分にかかるのを恐れて、「大丈夫だ」ということにして無理にエンジンを出荷したというのである。ろう付け不備の可能性を指摘した事故調査については「あれは言い訳であると思う。それまでずっと同じ手法でろう付けをしてきて同様の事故がなかったのだから、空焚きが原因で間違いない」ということだった。
OBの話がいくらかでも真実を含んでいるとしたら、事故調査報告は少なくとも「そのようなプレッシャーが現場担当者にかかる組織の問題」を指摘しなくてはいけない。が、そこまで事故調査報告書の筆は及んでいない。当時、もしも事故調査で免責特権が保証されていたら、担当者はきちんと自分のやったことを証言した可能性もある。
ちなみに、このようなカッコ付きの「真相」は、最近の事故でも聞こえてきている。
ひとみの事故調査は継続中であり、まだまだ明らかにしなければならないことは多い。事故の発端となったSTTは、新規開発品であり、本来ならば最初に技術試験目的の衛星に搭載して軌道上での動作を検証するべきものだった。それがいきなりひとみに搭載された経緯は要確認だ。適当な技術試験衛星計画がなかったのだろうか。ならば、なぜ技術試験衛星計画がなかったか、それは、予算の問題か政策の問題か、と、問題の根本を掘り下げていくべきである。
さらには、ひとみはSpaceWireという新型の機体内ネットワークで搭載電子機器を接続している。新しい技術は常にリスク要因なので、事故と関係があったかどうかを調べる必要がある。採用の経緯から、ソフトウエア開発のプロセスの状況(開発陣がデスマーチに陥っていなかったか)、開発ツールのバグに至るまでの検証が必要だろう。
いずれも「誰が悪いのか。責任があった者を見付けて処罰しろ」という姿勢でいると、真実がでてこないであろう事ばかりだ。
代替衛星につなげるためにも徹底した事故調査を
天文観測を行う宇宙望遠鏡衛星は、観測の高度化と精密化に伴って大型化しつつある。このため世界各国が独自に衛星を開発して打ち上げるのではなく、国際協力により“人類全体でひとつの衛星を作り、打ち上げる”ようになっている。ひとみは、日・米・欧を中心とした一大国際協力計画であり、今後10年近く人類のX線天文学の最先端を担う予定の衛星だった。「ひとみ」の次世代となる国際協力によるX線天文衛星「Athena」は欧州が主軸となって開発を行い、2028年に打ち上げられる予定だ(“お家芸”X線天文学が迎える12年間の空白:2016年3月2日参照)。ひとみの喪失により、このまま手をこまぬいていると、日本一国ではなく人類全体にとってX線天文学の発展が12年も停滞することになる。
これはひとみ計画の主軸を担った日本にとって、小さからぬ問題だ。人類全体に対する負債といってもいい。安倍首相が「日本は人類社会に対して責任ある態度を行動で示す」として、代替機打ち上げを明言しても良いぐらいの事態である。
政治は、すべてが明確にならないとなかなか主体的に動くのは難しい。政治がひとみ代替衛星の開発に向けて動くことができる環境を作るためにも、詳細かつ組織や政策にまで遡った事故調査が必要なのだ。
これまでに判明している、ひとみ喪失事故のプロセス
これまでの調査で、ひとみの事故は4つの段階を経て進行したことが判明している。4月15日と4月28日のJAXA記者会見、及び4月19日の文部科学省・宇宙開発利用部会で公表された資料に基づいて、以下にまとめる。
1)姿勢の誤認
最初に起きたのは、ひとみの姿勢を検知する仕組みが、本体が回転していないにもかかわらず「回転している」と誤認したことだった。ひとみはX線望遠鏡を正確に観測対象に向けるために自分の姿勢を検知する仕組み、そして姿勢を保ったり変えたりする仕組みを搭載している。
姿勢を検知するのは、恒星がどちら方向に見えるかで姿勢を調べるスタートラッカー(STT)、姿勢変化の角加速度を検出して積分することで回転速度を計測する慣性基準装置(IRU)、太陽の見える方向から姿勢を調べる太陽センサー(CSAS)という3つの装置だ。
トラブル直前の3月26日午前3時1分から、ひとみは姿勢を変更して次の観測対象へとX線望遠鏡を向けた。姿勢を変える時は当然STTやIRUで姿勢を監視しつつ行うのだが、この時STTの視野には地球が入っていた。微弱な恒星の光を使うSTTは視野に地球が入っていると使えない。このため姿勢変更時の状態の監視はジャイロの一種であるIRUが行っていた。
IRUは使っているうちに誤差が蓄積するので、時々STTの計測データを使って誤差を補正するようになっている。姿勢変更後の午前4時過ぎにはSTTの視野から地球がはずれ、STTは姿勢の測定を開始した。STTの計測でIRUに蓄積した姿勢の誤差が分かれば、その分差し引いて、正しい姿勢を知ることができる。
ところがこの誤差の数値情報が更新されなくなってしまった。更新されなかった原因は、STTになんらかの理由でリセットがかかった可能性が指摘されている。
ひとみのシステムは、STTとIRUの検出した姿勢に角度にして1度以上の差があった場合にはIRUの値を採用するように設計されていた。つまりSTTにリセットがかかっている間に差が1度以上になってしまうと、その後STTが再起動しても「IRUにこれだけの誤差が発生している」という数値がSTTによって更新されなくなってしまう。
姿勢制御の試みが次々と失敗
この結果ひとみは、実際には回転していないにもかかわらず「自分は回転している」と誤認してしまった。
2)誤認した数値に基づく姿勢制御
誤認のままに、ひとみは自分の回転を解消しようとした。
ひとみには、1)はずみ車の反動で姿勢を変えるリアクションホイール、2)搭載した電磁石に電流を流して地球の磁場を使って姿勢を変える磁気トルカ、3)小さなロケットエンジンの噴射で姿勢を変えるスラスター――という3種類の姿勢を変える仕組みが搭載してある。まず、ひとみはリアクションホイールで回転を止めようとした。
実際には回転していないのに回転しているという誤認のもとで回転を止めようとしたので、ひとみの姿勢は崩れてゆっくりと回転を始めた。じきに、リアクションホイールの回転数は上限に到達してしまった。機体の回転により太陽電池パドルには光が当たらなくなった。CSAS、または太陽電池の発電量から姿勢異常を検知する仕組みがあれば、この時点でトラブル発生が検出できたはずだが、そのような仕組みは搭載されていなかった。
リアクションホイールは軸受けで支持されているので、一定以上に回転を上げることはできない。回転数が上がりすぎる時は、磁気トルカを使って逆方向のトルクをかけてホイールの回転数を落とすアンローディングという操作を行う。
ところが磁気トルカは地球の磁場を利用するので正しい姿勢でなければ使えない。実際には姿勢が崩れているので磁気トルカは正しく動作せず、アンローディングができなかったようだ。
ここでひとみは異常な状態であると判断して、セーフホールドモードというもっとも安全な状態に機体を入れようとした。
3)不適切なスラスター噴射パターン
セーフホールドモードは、太陽電池パドルを太陽に向けて、本体をゆっくりと回転させるという状態だ。太陽電池からの発電は確保でき、ゆっくりした回転でコマのように姿勢を安定させる。衛星のどこが故障していても電力は確実に確保できる、もっとも安全な姿勢である。
リアクションホイールも磁気トルカも使えなくなっているので、セーフホールドモードへの移行にはスラスターを使うしかない。
ひとみは、機体の4ヵ所に2基1組、合計8基のスラスターを装備している。姿勢を変更するとき、どのスラスターをどのタイミングにして噴射するかは、搭載コンピューターが情報を保持している。ひとみは打ち上げ後、スラスターで姿勢を整えて、太陽電池パドルや後部のマストを展開した。展開の結果、重心位置や重心回りの慣性モーメントが変化するので、姿勢確立後の2月28日に、この「どのスラスターをどう噴射して姿勢を変えるか」という情報を地上から更新した。
ところが更新した情報が不適切なものだった。間違っていたのである。
その結果、スラスターはますますひとみ本体の回転を加速するように噴射してしまった。
太陽電池を失って万事休す
4)遠心力による破壊
ゆっくりと回転していたひとみは、セーフホールドモードに入ろうとして行ったスラスター噴射のためにますます速く回転するようになってしまった。その結果、もっとも弱い太陽電池パドルと伸展式光学ベンチの付け根が遠心力によって壊れて、本体から分離してしまった。
太陽電池パドルの破断部位を模型で示す久保田 孝・JAXA宇宙科学研究所宇宙科学プログラムディレクタ
事故発生当初は、事故後に数回ひとみからの弱い電波が受信できたことから、JAXAは復旧の可能性があるとしていた。しかしその後の調査で、電波は別の衛星からのものであると判明した。また、ひとみの軌道には4つの大型物体が確認されているが、これが本体、左右の太陽電池パドル、伸展式光学ベンチと推定されることから、JAXAは太陽電池パドルが失われたために復旧の見込みなしと判断した。
判断にあたっては別途「公表できない機関からの情報提供も受けた」とのことだが、これはおそらく米空軍が保有している軌道上を観測する望遠鏡が撮影した映像の情報を提供されたのだろう。
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