現在では、日本は、ハワイ・マウナケア山で口径8mの「すばる」望遠鏡を運用しているし、そのすぐ近くには10m望遠鏡2台が連動する米国のケック望遠鏡も稼働している。さらに――残念ながらマウナケア山頂を聖地とする住民とのトラブルが報道されているが――口径30mの望遠鏡「TMT」も建設に向けて動いている。

X線天文学は、巨大望遠鏡からのパラダイム・シフトだった

 当初、宇宙からのX線観測は「宇宙に小さな観測装置を打ち上げて、今まで観測できなかった波長の光で宇宙を観測する」という、巨大科学化する地上の望遠鏡に対するパラダイム・シフトとして始まった。気球やロケットの弾道飛行に引き続き、1970年に米国は世界初のX線天文衛星「ウフル」を打ち上げ、その威力を実証した。

 日本では、米国でX線天文学の祖である天文学者ブルーノ・ロッシ(1905~1993)に学んだ小田稔(1923~2001)が東京大学でX線天文衛星の実現に力を注いだ。最初の衛星CORSA(1976)は打ち上げに失敗したが、再度製造したCORSA-b(1979)は成功して「はくちょう」と命名され、1985年に地球に落下するまでに多大な成果を挙げた。

 日本のX線天文学にとって最大のハイライトは、1987年2月、超新星「SN 1987A」の爆発を、打ち上げたばかりのX線天文衛星「ぎんが」がX線で観測することに成功したことだろう。この時同じ爆発から発生したニュートリノが東京大学のニュートリノ観測施設「カミオカンデ」(岐阜県飛騨市)でも観測されたことで超新星爆発への理解が大きく進んだ。カミオカンデは2002年の小柴昌俊東大特別栄誉教授のノーベル物理学賞に結びついた。X線天文学の功績により小田もノーベル賞確実と目されていたが、2001年に死去。翌2002年に彼の共同研究のパートナーだったリカルド・ジャコーニ(1931~)が小柴特別栄誉教授と共にノーベル物理学賞を受賞している。小田も長生きしていれば、この時に受賞していた可能性がある。

衛星もまた巨大化の一途をたどる

 しかし、研究が進むにつれてより高精度・高感度の観測への要求は大きくなる。X線もまたX線望遠鏡という特別な形式の望遠鏡を使って観測するので、高精度・高感度化は即大型化を意味していた。

 日本の歴代のX線天文衛星の重量を見ると、初代の「はくちょう」が96kgだったものが、1983年打ち上げの「てんま」は216kg、1987年打ち上げの「ぎんが」は420kg、1993年打ち上げの「あすか」は420kg、2005年打ち上げの「すざく」は1.7t、そして今回打ち上げられた「ひとみ」は2.7tと、大型化の一途をたどっている。

 衛星の大型化は、開発期間の長期化、開発コストの高騰を招く。「ひとみ」は開発にほぼ10年かかり、開発と打ち上げのコストは310億円だった。ただし、これは日本が支出した分だけであり、国際協力で計画参加国がかけたコストは含まれない。

 「ひとみ」の観測により、X線天文学はさらに進展し、新たな科学的課題も増えるだろう。新たな課題を解決するには、より大型のX線天文衛星が必要になることは過去の事例を見ても間違いない。しかし、現在の日本政府は、宇宙の実利用に主軸をおいており、宇宙科学には一定以上の予算を出すつもりはない(官僚文書の「座敷牢」入り? 宇宙科学・探査2015年2月18日、を参照のこと)。