グッドプレイン(1885-1886年)
さて直訳型フレーズの歴史を遡っていくと、最終的には明治時代の学生言葉に行き着くことになります。
1985年から86年にかけて発表された坪内逍遥の小説に「当世書生気質(かたぎ)」という作品があります。明治時代の学生(当時は書生と呼ばれていた)の文化・風俗を表現した作品でした。
この作品に登場する書生の言葉遣いは、誤解を恐れずに言えばルー語やトニーグリッシュにそっくりです。以下に、少しだけ引用しましょう。「ブック[書籍]を買ひに。丸屋までいつて、それから下谷の叔父の所へまはり、今帰るところだが、尚(まだ)門限は大丈夫かえ」「我輩のウヲツチ[時計]でハまだテンミニツ[十分]ぐらいあるから。急いで行きよつたら、大丈夫ぢゃらう」(注:文中のハ、さらに[時計][十分][書籍]などの括弧書きは原文ママ)
この小説がどの程度、実在の言葉遣いを反映していたのかはよく分かりません。ただ実際の書生言葉においても、やたらと英単語を混ぜたがる傾向が存在したことは確かであるようです。ちなみに当時の書生たちは、授業を英語やドイツ語で受けることも多かったとのこと。したがって彼らの言葉遣いに英単語が混ざりがちであるのも、頷ける話です。
ただ前述した実例は、いずれも単語単体での言い換え(時計→ウヲツチなど)に過ぎません。「複合語」を直訳するパターンは少なかったのです。実際、筆者が発見できた複合語のフレーズは「グッドプレイン」のみでした。これは吉原(よしわら)を言い換えたフレーズです。吉原の「吉」を「良し」に読み替え「グッド(good)」に直訳し、「原」部分を「プレイン(plain)」に直訳したわけです。
このように明治時代にはすでに「英語由来の外来語をふんだんに盛り込む言葉遣い」が存在しました。おそらくこれが、直訳型フレーズの最古の事例でしょう。
明治以降、地味ながら続いた造語法
ということで今回は、直訳フレーズの「歴史」について振り返ってみました。現代から過去に戻りながら、各時代に登場した「直訳型フレーズ」を紹介した次第です。
いま一度、紹介した言葉を振り返りましょう。芸能人の不倫報道で話題になったのがセンテンススプリング(2016年)。少し前のネットで話題になったのが、都道府県名の直訳型フレーズ(2013年)。藪からスティックなどで知られる一連のフレーズがルー語(2007年)でした。
また学生運動の時代に誕生したのがホワイトキックやパンピー(1960年代末期)。長嶋茂雄氏の語録とされるのがミートグッバイ(時期不明)。トニー谷版の直訳フレーズがスプリングレイン春雨(時期不明)。書生言葉として登場したのがグッドプレイン(明治初期)、ということになります。
コラム中で言及したように、直訳という造語の方法は、他の造語法に比べるといささか単純です。特に若者語の世界では「ひねりを加えること」を良しとする価値観があるので、その分、直訳型フレーズの存在感は薄いのかもしれません。
とはいえ少なくとも明治時代以降、この造語法が脈々と続いてきたこともまた事実です。直訳フレーズの造語法は、おそらくこれから先も生き続けていくことでしょう。
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