韓国の世論は北朝鮮のミサイル発射にあまり関心を示さなかった(関連記事「北朝鮮がミサイル発射でも韓国はいつものお正月」)。だが、開城工業地区の稼働が中断されたことはとても敏感に受け止めている。韓国経済に与えるダメージが大きいからだ。
開城工業地区からの撤退を進めるために移動する韓国企業の車両で渋滞する橋(写真:YONHAP NEWS/アフロ)
韓国メディアは「韓国と北朝鮮の平和と経済交流を象徴する開城工業地区の稼働が中断したことは、南北関係が70年代に戻ったということだ」と報じた。韓国のSNSやオンライン掲示板には「南北(韓国と北朝鮮)関係の最後の砦ともいえる開城工業地区がなくなって大丈夫なのか」という書き込みが増えている。
開城工業地区はもともと韓国の首都圏を狙う北朝鮮の軍事施設があった場所である。開城工業地区は軍事分界線から2.5Kmしか離れておらず、ソウル市内から車で1時間程度で行くことができる。1998年に進歩派の金大中大統領が就任して以降、南北の交流が活発となり、経済交流も始まった。開城工業地区は2003年に着工、2006年から韓国企業が進出し、北朝鮮の人を工員として雇っていた。
これまで韓国企業の出入りが禁止されたり、工場の稼働が中断されたりしたことはあるが、どれも北朝鮮による一方的な措置だった。韓国が開城工業地区の稼働を主体的に中断したのはこれが初めてである。
韓国政府の方針が一転
韓国政府はこれまで、稼働を中断することはないと何度も明言してきた。北朝鮮が水爆実験を行った直後の1月12日にも、統一部は「開城工業地区は稼働を続ける」と発表していた。
しかし。朴槿恵大統領が2月9日、米・日の首脳と電話会談し、北朝鮮に対する制裁を強化することで合意。翌10日、キム・クァンジン国家安保室長は開城工業地区の「稼働を無期限で全面的に中断することを決定した」と発表した。
地上波放送MBCのニュース番組は2月13日、「開城工業地区の全面稼働中断は大統領官邸が決めたことで、(朴大統領と米・日の首脳との電話会談によって開城工業地区の稼働中断が決まったといわれているが)そうではない」と報じた。
これに対して、今度は北朝鮮側が11日、開城工業地区を軍事統制区域に指定し、韓国側の人員を全員追放した。突然の事態に、同地区にいた韓国企業の社員らは、原料と完成品を工場に残したまま、手ぶらで韓国に戻るしかなかった。
開城で支払われる賃金は核開発に使われていた
統一部のホン・ヨンピョ長官は14日、公営放送KBSの報道番組に出演し、「開城工業地区内では北朝鮮の労働者に米ドルの現金で賃金を支払っている。しかし、このお金の70%は北朝鮮当局に流れている。北朝鮮は開城工業地区で得たお金を核やミサイル開発に使っている」と主張した。
司会者が「開城工業地区の賃金が核開発などに使われたことを知っていたなら、すぐにでも稼働を中断すべきではなかったか」と質問すると、同長官は次のように説明した。
「開城工業地区が持つ意味(韓国と北朝鮮の平和の象徴)を考慮し、稼働を続けた。しかし北朝鮮は核とミサイル開発に力を注いできた。今後も開発を続けるとみられるため、このまま放っておけないと判断し全面的に稼働を中断する措置をとった」
「金額だけをみれば稼働中断による被害は韓国企業の方が大きいが、韓国と北朝鮮は経済水準において差がある。稼働中断は北朝鮮に不利益をもたらす。開城工業地区の再稼働は北朝鮮次第だ」
ホン長官は12日の記者会見でも「北朝鮮は、開城工業地区で賃金として得た米ドルを核と長距離ミサイル開発に使っていた。それを立証する資料を持っている」と発表していた。
開城工業地区の中断は保守派の選挙対策?
2月14日、野党のドブロ民主党のキム・ソンス報道官は、以下のように論評した。
「統一部は開城工業地区で支払われる賃金が北朝鮮の核とミサイル開発に使われていることを知りながら同地区の稼働を続けた。これは国連安保理決議違反である。明確な釈明が必要だ」
「開城工業地区で支払われる賃金は年間1億米ドル。その70%は7000万ドルにすぎない。いっぽう、北朝鮮と中国の交易は年間60億ドルの規模がある。中国が制裁を加えない限り、開城工業地区の稼働を中断しても、北朝鮮が核とミサイル開発をあきらめるようには見えない」
「開城工業地区の閉鎖は、北朝鮮の資金源を潰す効果より、韓国がこうむる外交・安保・経済的損失の方が大きい」
ドブロ民主党のキム・ジョンイン代表は12日、「4月の選挙を前に(与党セヌリ党が)国民の危機意識をあおって政治的利益を得ようとしていると考えられる。だが、国民のレベルが高くなったので、そういうことはあり得ない(筆者注:選挙前に北朝鮮との関係が悪化すると保守派の支持率が上がる傾向がある)。北朝鮮の核とミサイル開発は韓国だけで(韓国が制裁を加えるだけで)解決できる問題ではない」と指摘した。
開城では低コストで高品質品が製造できた
開城工業地区の稼働を中断することの問題点は、同地区に入居している韓国企業が受ける被害が少なくないことだ。
開城工業地区には韓国の製造業が進出している。最も多いのがアパレル工場、その次に多いのは機械金属、電気電子、化学、食品などである。労働者はすべて北朝鮮の人で、給料は1人当たり月160ドル。東南アジアの国々よりも安い賃金で高品質の製品を生産できるとして、開城工業地区は人気が高かった。
開城工業地区は韓国企業にたくさんの利益をもたらしている。開城工業地区で製造した製品は韓国側に陸送できるので輸送費はあまりかからない。海外の生産拠点の場合、完成品を韓国まで船で運ぶ必要がある。完成品は「北朝鮮産」ではなく「韓国産」として輸出できるので、FTA(自由貿易協定)を締結した国々にも低関税で輸出できる。
韓国と北朝鮮との関係が悪くなるたびに稼働中断を懸念しなければならないデメリットはあったが、両国の政府は2013年、どんなことがあっても開城工業地区を正常に稼働させ続けると宣言したので、韓国企業はそれを信じてきた。
開城工業地区企業協会によると、同地区の年間生産額は2015年11月時点で累計約6150億ウォン(約615億円)。北朝鮮人5万4763人、韓国人3000人、合わせて6万人近くが働いていた。再開の見通しが立たない限り、労働者は職を失う。企業も、製品を製造できないので莫大な被害を受ける。同協会は今回の稼働中断がもたらす被害額は2兆ウォン(約2000億円)を超える見込みだと発表した。
2月14日付のニューシス(インターネット新聞)によると、開城工業地区は、サムスン物産ファッション部門、コーロンFnC、シンウォンなど韓国有名ブランドの製品をOEM製造しているものが多い。ブランド側は、代替工場を探すため海外を回るなど大忙しだという。
統一部は、「開城工業地区の全面稼働中断は韓国政府が決めたこと。なので、活動ができなくなった企業は政府が支援する。新たな工場用地を探す」としている。
韓国日報は13日、開城工業地区の今後について3つの可能性を報じた。第1は、韓国の首都圏を攻撃するための軍事地域に逆戻りすること。第2は、残された工場を北朝鮮が自ら稼働させる。もしくは、他の地域に設備を移転して再利用する。第3は、北朝鮮が開城工業地区の工場を第三国に売却するか、稼働を第三国に委託する。
開城工業地区が軍事地域に戻れば、韓国軍も対策をとらなければならない。韓国軍の負担も増えざるを得ない。
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