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出場者が望んだ「本気」の勝負

 上沼氏の採点は、徹底的に自分の“好きか否か”を隠さず最前面に出したものだった、ということだろう。次に、その点が責められるべき点か否か、だ。

 では問うが、他の審査員は好き嫌いを出さなかっただろうか。それを露わに口にしたのが上沼氏だとしたら、他の審査員とてそれを口にせずとも好きか嫌いかが点数に反映しないワケがない。上手さ、魅力、を判定するのに「芸に魅入られる」というものがあるとしたら、すでにそこが“好き嫌い”の領域でもある。

 元々、芸人さん達は、自らの芸風を「これで勝負」と挑んでいる。そこに託す感性はそもそも“好き嫌い”じゃないのか。

 好きを追究して極めて、自分の芸に完成させた。そんな芸人さんが審査をするなら、そもそも芸を自分のセンスで磨いてきた人たちだから、他人の芸とて自分の琴線に触れる芸でなくてはならない。つまり、“好き”だ。

 そうではなく公平性とか、将来性とか、そういうまっとうに聞こえるものを重要視したいなら、昔のスタイルだった“文化人”たちが審査した時代に戻る。そこに反発したのがそもそも芸人たちだった。

 「漫才をしたことがない人間に、なぜ、我々の漫才を採点されなければならないのか」

 という反発を背景に、“文化人”審査員が消え、今の、トップクラスの芸人さん達が「自らもやってきた漫才」の、後輩としての漫才を吟味し審査するスタイルが確立した。

 審査員が知識人ならば、「今すぐ面白くはないけれど、こういう漫才師に将来を託したい」とか「彼らは今は地味だが、必ず将来、比類なき漫才師になる可能性を感じる」とかいう、しごくまっとうな、公平性、客観性、将来性、を加味した採点があっただろう。