もちろん、この「サウナ体験」で日本の問題点を語り尽くそうなどとは思わないが、私の頭の中には勝手な「サウナ妄想」がわいてきた。
…そのご婦人は、若かりし頃、外で頑張って働いてもたいした収入にならないという壁に直面した。そして経済力のある夫を掴まえるべく多大なエネルギーを費やし、見事にゲットした。昼下がりのサウナは彼女にとって“虚栄心の砦”だ。しかし、サウナの独占は難しい。同じく夫選びで成功を勝ち取った女性たちもやってくる。自分の居所がなくなるのは困るが、お仲間同士、一緒になって砦を占拠するのも悪くない。見栄の張り合いは少々面倒だが、そこは割り切ってやりすごす。問題は余所者の侵入だ。我々成功女性の砦を守るのに"いつもは見ない顔"のチェックは欠かせない…。
…だから私は新聞を剥がされ、サウナの入り方を説教されることになったのか…。
立ちはだかったのは
サウナ妄想は続く。では、どうすれば新聞を剥がされずに済むのか。
サウナ妄想のそもそもに立ち返ってみる。彼女は「外で頑張って働いても大した収入にならないという壁」に直面した。
改めて、間違ってはいけないのは、彼女の前に立ちはだかったのは「103万円の壁」でも「150万円の壁」でもない。「女性が活躍できる仕組みが整っていない」という壁であったということだ。

『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』