「領収書も出せる」とは、「経費で落とせる」発想で、「いらない!」は、「そういう会計はしていませんから、うちは」という見栄。
「〇〇百貨店の外商は入っている?」
「〇〇百貨店は、入ってないわ」
そんな会話からは「我々はわざわざ百貨店に買い物に行く層ではなく、外商を呼ぶクラスよね」という互いの認証があり、「〇〇百貨店は入ってないわ」というエクスキューズは、ほかの百貨店の外商の出入りをにおわせる。
が、もし本当に入っていれば、「〇〇は入ってないわ。私は△△百貨店専門なの」くらいは言いそうな流れだが、そこに言及しない主婦のところにはおそらくどこの外商も来ていないと推察されるが、そんな駆け引きもコミコミで会話は続く。
雑誌で新聞で
私は雑誌で顔を隠しながら薄暗いリラクゼーションルームで、沈鬱な気分でその女性たちの声高なフロア中に広がる、いや、あえて広めている自慢、特権意識に、耐える。
が、そういう女性たちの一人がリラクゼーションルームに入ってきた。そして薄暗い中でもわざわざ雑誌と私の顔の隙間の空間からのぞき込む。挨拶から始め、何かの会話をしようとし、私を品定めする。私は挨拶の段階から無視する。
翌日のリラクゼーションルームでは、新聞紙で顔を隠した。だが、別の女性がのぞきにくる。
それは私が遙洋子だからではない。自分たちのテリトリーに、会員ではない"誰か"が来た。仲間にするか否かの品定めが始まったのだ。新聞という広く大きな紙で顔をおおっても、その隙間から挨拶を装って品定めに来る。それを防御しようと、私はわざと新聞紙を両面に大きく開いて、その女性との間に紙の壁を作り遮蔽した。
高級会員制フィットネスクラブは、ラグジュアリーな空間と充実した施設にふさわしい、リラックスできるスペースであってほしいと願うばかりだが、現実は何とも滑稽なことになっている。