「違うだろ」
かなりひどい状況であろうと、世間は「見慣れている」から、なんとなく許す。
対して、女性のそれは見慣れていないぶん衝撃も激しく、世間の常識を揺るがす。
かつて著名な男性大物議員が大声を上げながら床を転がり回った。なかなかに異様な映像だが、コメンテーターは笑いながら「個性的な議員でしたねぇ」で片づける。
見慣れていると耐性がつく。問題行動でも続けていると既得権が生まれる。
我々の文化とは、男性は怒鳴ったり暴れたりしても、相手に怪我を負わせるなどのよほどのレベルでないとなかなか刑事告訴されないし、引退勧告もない。
だが、女性のそれは、日本国中を敵に回す。
それが、例の二人の女性の罵声から私が学んだメッセージだ。
情けないと思うのは、そういう世間に対してだけではない。怒鳴った女性たちに対しても、大いに思う。
それなりの根拠があって怒鳴ったのではないのか。
そうならば、なぜ自ら、正当なこととして訴えないのか。
怒鳴った行為を糾弾されると、声を揃えて弱い声で陳謝する。
そうなると、怒声はその根拠を失う。単に腹が立ったから怒鳴り、叱られたからシュンとする、という、"感情的"なものに収れんされてしまう。
違うだろ!違うだろ!お前、しっかり仕事しろ!
その動機は、ただ当り散らしただけなのか。部下にしっかりしてほしい、というものだったのではないのか。
そこを釈明することなく、世間が騒いだらすぐ謝る。
私は、女性が怒鳴ることよりも、責められたらすぐ謝ってしまう腹のくくりのなさのほうがよっぽど問題だと思えてならない。
どうにも釈然としない。怒鳴ったなら、怒鳴った理由をちゃんと述べるべきだ。すぐ謝るな。