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しょせん、気が利いた使い方なんてないのかも

 もっと唸るような使い道はなかったのか、と、この種の事件を見るたびに感じてきた。が、いまだに感動の使い道に出合えていないということは、人間の欲求とはたかが知れている、ということなのかもしれない。

 コンプレックスのある人はブランドに溺れ、身を飾ることの意味を失い、ブランドに飲み込まれていく。ブランドは、自分が“利用”するもので、ブランドに消費者が利用されてはいけない。心の奥に刻み込まれたコンプレックスは、全身ブランド、家中ブランド、という趣味の悪さに気づくセンスを磨く機会に恵まれなかったことの裏返し、とも言えよう。

 趣味の悪さに突っ込むとすれば、あの、事務の女性の「ミッキーハウス」の駐車場のトタン屋根だ。夢のような家を作りたかったのに、なんで、駐車場の屋根はトタンにしたのだ、と、そのセンスに唖然とする。トタン屋根が悪いのではない。駐車場はトタン屋根と相場は決まっている。が、何億円も横領して作った「夢の家」ならば、私ならトタンは使わない。

 ゴーン氏の結婚式についていえば、再婚で相手も中高年で、仕事で世界的に脚光を浴びる立場なら、私ならベルサイユ宮殿で結婚式はあげない。そこは「プライベートですから」と、地味に内輪で中身のみ豪華な宴席にする。仮に、ハリウッドスターなら宮殿もあり、だ。そこに人は夢を見ることもできるだろう。

 浮かれた金持ちくらい始末の悪いものはない。見せびらかし行為そのものが浮かれている証拠で、カネを持つこと、その事実で浮かれてしまう。

 だから、本当の金持ちは浮かれない。というか、浮かれたところを見せない。
 金持ちはカネの危険さをよく知っている。それが事件を生み、人間関係を不実なものにしかねない取扱い要注意のブツであることを親からも叩き込まれるし、自らも否応なく経験している。

 金持ちはカネを隠す。それが金持ちのリアリティだ。
 危険を知っているから、カネの匂いを漂わせることを嫌う。

 だから、「もっともっと」と横領したくなったり、派手な生活を見せびらかしたくなったりすれば、その行為の持つメッセージは、「実は金持ちじゃないんだよね(=カネの怖さに無知なんだよね)」という逆のものになる。