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 が、ありすぎると、リビングに転がし、足で蹴って客を案内するという事態が起きる。高級腕時計もありすぎると展示して見せびらかしたくなるらしい。が、そもそも論として、そこまで腕時計がいるか? ということなのだ。

 仮に、これらの消費行動が、本来のそれぞれの収入からなされたものであれば、ただのおバカな愛らしい趣味の範疇だ。

 プラモデルだらけの家、カメラだらけの部屋、あるいは宝塚グッズだらけのリビング。収入は全部、趣味に使ってしまう、という人は少なからずいる。これを批判するつもりはないし、そんなことはあくまで彼や彼女の自由だ。

 違いは、横領してまでおバカなことをやりますか? その価値はどこにありますか? というところの、本当に救いようがないという意味でのバカさ加減にある。

 仕事以外からお金が切りなく注ぎ込まれるおかげで、使い方が完全に分からなくなってしまった人たち、ということだ。

カネは欲しい。だが、使い道がわからない

 カネが欲しいくせに、カネの使い方の分からない人。
 それが、横領までしてカネに執着する人たちの、着地点のような気がしてならない。

 カネはなんのために存在するのか。
 カネは、生きるためにある。これが基本中の基本だと思う。

 食べられて、寝られて、服をそこそこ買えて。人とそこそこお付き合いができて。年に1回くらい海外旅行ができて。それくらいのカネがあれば人生はかなり楽しく生きられるはずだ(それ以上欲しい。だって、ないと不安だから、という人は無駄遣いよりさらに危ない。不安を消すために、お金を集めることを生きる目的にしてしまいかねない)。

 過去のカネにまつわる事件を見ても、人を殺めてまで手にしたカネで何をしたかというと、ホステスに貢いだり、愛人に貢いだり、賭け事につぎ込んで無くしたり。たいがいロクなことに使っていない。自分の欲求を満たしただけで、はい、おしまい、だ。