不正と解釈されても仕方ないようなことが起きる慣習を放置した過去の知事たちには責任があるだろう。なぜ部下にそういった体質が根付いたのかは、解決せねばならない重要課題だろう。しかし部下を"敵"とするのは、やはりしっくりこない。
本当の敵は
敵は、そういった行為を、知事の眼をかすめて裏でやってのけた連中だ。それを指示した何らかの力だ。その、何らかの力こそが、前述でいう"パンドラの箱"の中にいるのではないか。豊洲移転問題でもオリンピックの膨れ上がる予算問題でも。根っこは同じパンドラの箱にあるのではないか。
部下を、知事ではない"誰か"がコントロールしている。その"誰か"をあぶりだし、なぜその人間がそういう指示を出したのかの背景をあぶりだし、その背景にいるまさしく"権力"と戦うことが小池知事に期待されていることなのではないか。
リーダーが知事ではなかったから起きた事態ともいえる。都庁には知事以外に、リーダーがどうやらいたのだ。その外部の権力者と戦うのが、現知事に都民から負託された期待ではないか。
「今の知事は週に一回の出社」と皆が笑って許してきた過去がある。知事がお飾りだったことから生じた事態だ。知事が真にリーダーとして一本化されれば、おのずと役人たちはそのリーダーに従うだろう。どう考えても部下は敵ではない。言うことを聞かない部下、出せという書類を出さない部下、何かを隠す部下がいたら、敵は部下ではなく、そういう行為をさせる"誰か"が背後にいるということではないか。