以上はこれまでの報道で私の主観で見つけた彼女の戦略だ。私も、舐められたくない時には相手に一歩も近づかず、相手がこちらに来るのを待って挨拶しようとその戦略をいただいた。

「パンドラの箱」「戦う相手」

 さて、私が出演した番組で「ああ小池氏は、これからこういう批判と戦わねばならないのか」という場面があった。

 ひとつは「開けてはいけないパンドラの箱を開けた」。

 これは、いわゆる「豊洲問題」に手をつけることで、政治とゼネコンという、過去の知事たちが絶対触れなかったパンドラの箱、政治の闇に通じるとっかかりに手をつけてしまった、ということを批判したものだ。「それって、政治とゼネコンのことですか?」「はいそうです」と、本番中、ひそひそと私は発言者の政治評論家氏から言質を取った。

 だがそもそも、そこに着手してほしかったから都民は小池氏に期待したのではなかったか。小池氏が都知事になったからには、すでにパンドラの箱は開く運命にあったのだ。そこでもし小池氏が過去の知事たちのようにろくな検証なしにスルーしたら、それこそ小池旋風など一気にないでしまったはずだ。どこまで闇と言われる部分に光をあてられるかはわからないし、勇み足で返り討ちに遭うリスクもある。が、着手した、というだけでも私は評価に値すると思う。評論家氏は着手してしまった、と、それをあくまでタブー視するが。

 もうひとつは「戦う相手を間違えている。権力者と戦うのではなく、まず役人と戦わないと。不正をしたのは役人なのだから」といった指摘だ。

 私は釈然としない思いだった。権力者と戦わず、部下と戦う? 理解ができない。戦うべき相手は何より権力者だろう。もちろん部下には適切な指導が必要だろうが、「権力者ではなく部下と戦え」というのは、問題の本質を見えなくする。

 カルロス・ゴーン氏が日産のトップになった時、敵は部下だったろうか。会社を立て直すも、都を立て直すも、無駄な出費を控え、情報公開をし、透明性を出し、建て直すという手順が必須と見る。部下を敵とみなして、こうした手を打つのは、ままなるまい。

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