ビジネス誌が見出しに取りそうな、とてもカッコいいことを言っているのに、力まず声も張らず喋る姿がとてもグレーのスーツと合っていた。都心のホテルの喫茶店で見る彼はきっと誰が見ても社長に見えないに違いない。でも私は断言できる。それが、“本物”だ。

 世界にまたがる企業を10数年間牽引し、決してエラぶらず、待ち合わせにはいつも100%私よりも早く到着して私を待ってくださった。これも彼の、この会社の仕事姿勢だろう。

 誤解なのだろうけれど、「ワークライフバランス」という言葉には、「人生を“豊か”にするには、仕事をやりすぎないようにしないと」という響きをどうしても感じてしまう。そして「ほんまか?」と思う。「弊社」とグレーのスーツの影に隠れ、責任回避しつつうまい汁だけ吸おうとしている会社員や役員に、豊かな人生なんて送れるのか?

 彼は最近、雑誌の方の「日経ビジネス」に登場されることになり、取材に私も同席した。(雑誌の読者の方は楽しみにしていただきたい)。過去、絶対、現場に早く着き私を迎えてくれた彼を、今度は私が待とう、と、めっちゃ早くに取材現場に向かったのに、やっぱり彼のほうが先に到着していた。最後まで勝てなかった。

「定年後の毎日はとっても楽しい」

 「今は毎日がとても楽しい。いろんな稽古ごとやスクールに通う。たくさんの発見がある。妻に迷惑かけたくないから、毎日、家を出るようにしてるんだ」という。

 彼が「とっても楽しい」という行為は、パンを焼いたり、ドラムを叩いたり、趣味系のものだ。

 それはつまり……と聞いてみた。「ビジネスマン人生で、まったく遊ばなかった、ということではないですか?」。
 彼は嬉しそうに微笑みながら「うん」と答えた。

 人生1個分、すべてを企業に捧げた男。普通は妻に疎んじられるか離婚される、あるいは肩書に執着し、現場に未練があり、何をしていいか途方に暮れる。

 それは彼に言わせると「とことん働いてやり切っていないからだ」そうだ。

 とことん働くとは、家庭を顧みずほぼ単身赴任で海外に飛び、業績を上げ、黒字を出すよう粉骨砕身し、同時に、出会う人とはとことん紳士的に向き合う。