
お尋ね
うちの会社では「ワークライフバランス」ができません。仕事と家庭の両立なんて非現実的ではないか、とも思える日々を送っています。(30代男性)

遙から
私の心から離れない“社長像”がある。
企業や組織が苦手な自分には芸能界という個人戦の職場は、なんの保障もない替わりに自由だった。私がイエスと言えばイエスだし、嫌だと思えば拒絶できる。売れようが売れまいが自己責任。露わな市場原理が私には自由を感じさせた。企業や組織一般への苦手意識は、会社員の着るスーツ、特にグレーのスーツなどに顕著に出た。
服もネクタイも、トータルにグレーに仕上げているビジネスパーソンには、何度会っても顔が覚えられない。こういう人たちはだいたい「弊社は」を主語で語る。語られるとそれだけで「卑怯者め」とすら感じる。「わたしは」がない職種の責任逃れや腰の引けた慇懃無礼さが信用できない。口癖は「上司に相談してから」だし、トラブルが起きると途端にその人物は出てこなくなる。
ビジネススーツの集まりで呼ばれる仕事場では、私のような職業の人間は接客業に限りなく近い役割に就かされることもめずらしくない。
グレーのスーツに隠れる卑怯者
講演に呼ばれたはずなのに、お茶の席で呼んだ側の大声の自慢話を延々と聞き、感心するフリをしたり、ツーショット写真で肩を組まれたりなど、これも仕事のうちと思いつつ、そこにあるしんどさや面倒くささが重なり、やがて極度のおっさん嫌いになった。
要するに、私のおっさん嫌いには何十年という蓄積があり、その表象として“グレーのスーツ”があったのである。私は、仕事での食事会はお断り、どの主催者さんとも同席をしない、というスタイルを続けてきた。
そもそも、グレーのスーツと食事しても個人的な信頼関係は構築できない。相手の心意気やこちらの誠意やそういったものは、彼らがグレーのスーツで守られ“弊社は”と言っている限り、個人の関わりの中で生まれる次に繋がる未来などは期待できない。その日限りの打ち上げやら宴席やら快楽に消費する時間が惜しい。
そんな私に講演依頼が来た。
担当者は「弊社の社長が講演前日にぜひ遙さんと食事をしたいと言っております」という。