お尋ね
今回の閣僚人事、「女性閣僚が1人」ということに対して、どう思いますか?
遙から
「女性大臣がたった1人だ」とメディアはその閣僚人事に批判的だ。
でも私が持つ違和感はそこじゃない。
紅一点の片山さつき内閣府特命担当大臣に、地方創生・規制改革・男女共同参画、そして女性活躍担当ならびにまち・ひと・しごと創生担当としての成果が期待できるか。どうもしっくりこない。
というか、女性活躍・男女共同参画、に限って言えば最も遠いところにいる女性をその担当にしたのではないか、とすら思える。
産んだ人だから適任か?
この種の違和感は昔からあった。少子化対策の大臣に子供を産んだ女性閣僚が選ばれた時もそうだ。小渕優子氏が“産んだ”ということで選ばれたのは2008年度のことだ。
不思議な人事をするものだと首を傾げていた。
子供を産めたことと、産んだ経験を政策に反映できるか否かはまったく別の問題ではないか。あまりに単純な理由づけに、しょせんおっさんセンスの人事だと期待もしなかった。
そこから10年、何か変わっただろうか。
子供を産んだから、といって少子化担当につけてどうするんだ、という突っこみは「うん、その通りだね」というつまらない答えしか生まなかった。
10年後、何も現実は変わらない。どころか深刻化している。
産んだから少子化対策の大臣。
女性で活躍しているから女性活躍大臣。
こういう発想に未来はあるのだろうか。
足下を見るのは難しい
生き方は自由といいつつ、少子化を問題視する社会では“産んだ”ということは一つの成功だ。同様、ガラスの天井と言われる中、女性エリートで大臣になることも成功だ。
この社会で成功しなければ大臣になんてなれない。でも、成功した女性たちに、どうあがいても産むことも出世することも叶わないというリアリティは、どこまで代弁してもらえるだろう。
片山さつき大臣のテレビでの発言を聞いてみた。
私程度の脳みそで理解できたのは、「子育てと仕事が両立できて出生率も高いのは地方。なぜなら家と職場が近いから。ということで、職住接近の、育児に理想的な街づくりをしたい。そこに海外から視察団が来るような」(あくまで私の記憶による要約です)
他は英単語が主張に混ざりすぎてほぼ理解不能となった。ほらみろ。エリートでそのまんま閣僚になった女性というのは、使う日本語がそもそも違う。海外から視察が来るような街づくり、というのは大きな夢でけっこうなことだと思う。だが実際は築地か豊洲かで何年間も揉めるのが人間が住む“街”というもの。任期中に作れるのか、街が。それも、海外視察が来るレベルの理想の街が。その壮大な夢物語に、「だからエリートは」と私はため息をつく。
もっと足元を見てみようよ。派遣は派遣同士でイジメに苦しんでいる。複数派遣されると自分の能力の高さを企業に認められたいために同じ立場の派遣を踏みつけにして自己アピールする。これは派遣社員に聞いた「派遣あるある」だ。
上司は、やがて数年で消える派遣のトラブルに積極的にはならない。イジメにあったほうは途中解約した経歴を残さないためにウツになっても任期を満了しようと辛抱する。
結婚? 出産? どこのお姫様の話か、というのが、私の知る単身女性派遣の現実だ。
たいていの成功者は空を見る
出世でき、テレビを使っての大臣としての主張そのものに多くの英単語を入れたくなる動機として、“これが私の日常用語”という自負がある。と、意地悪な私は見る。でも、テレビだぞ。大勢の国民に訴える今後の未来に、英語使ってどーするんだ。
かっこいいよ。こんな姿でインタビューされる立場は眩しいよ。でも、大臣なら国民の理解できる日本語をまず喋れないか。そこへの配慮がない成功者が理想の街づくりを語る構図は、成功したから次は宇宙に飛びたいという夢を語るIT社長と似たものを感じる。
宇宙もいい、ストラディバリウス購入もいい。けれど、成功者がさらなる大きな夢を語る度に、この国のデータが語る貧困層予備軍たちが占める日本の未来は、格差が広がる一方なんだろうなぁと確信してしまう。
そもそもの話になるが、女性活躍大臣は男性でも全然問題ない。
現状は、「ズルい」生き方がどうやら正解なのだ。そのズルさを見破られているとしても、記録も記憶もない、と言い続ければ勝てる。モリカケ問題にいつまで引きずられているんだ、もっと国際的な視野で評価しろ、という声もある。これは、足元を見ずに、海外の視察団を夢見る大臣、宇宙を夢見るIT社長の発想とダブる。
成功者は似ている。安倍総理は国際的視野で日本を語り、片山さつき氏は理想都市を語り、IT社長は宇宙を語る。
だがそもそも論として、この赤字国家をどうするか、少子高齢化をどうするか、未来に待つ貧困をどうするか、といった足元を声高に訴えかける成功者は私の記憶にはない。成功したら空を見上げる。そして次なる構想を練る。構想がなければとりあえず宇宙を飛びたいと願う。だから成功したのだとも言えるのかもしれない。そういえば地方創生の担当大臣でもある片山氏。理想の街づくりの前に、今あるシャッター通りの、たった一軒でもシャッターを上げてみるにはどうしたらいいか、腹案はおありだろうか。
わからないのが当たり前
成功したけりゃ空を見上げればいい。上昇志向に水を差すつもりはない。
ただ、政財界共に、足元に興味がない、あるいは足元を知らない人たちがこの国の勝ち組として、この国の牽引車になっていることに、やはり希望は見いだせないのだ。
総裁選で、石破茂氏が負けを覚悟で挑んだ姿勢に私は拍手を送った。もちろん、どれほど善戦しても勝者にはなれなかった。ここから学ぶのは、まっこう勝負、正義感ありきの改革理念、では負ける、ということなのかもしれない。
だが、女性活躍について質問された選挙時の石破氏の言葉が忘れられない。
「虚心坦懐、女性たちの意見をまずしっかり聞くことから始まる」(※私の記憶の中での言葉です)
こういう男性こそ、私は女性活躍大臣にふさわしいと思う。わからないから聞くんだ。なぜ女性は政治家になろうとしないのか、なぜ子供を産もうとしないのか、わからないんだ。
それでいいのだ、と思う。
女性だから女性活躍、男女共同参画、という発想でいる限り、政治の世界は、マスコミでいう、「女性だから料理番組担当」という時代のまま止まっていると言っていい。
人事の前に、まず“女性”だから担当できる配置なのだとすれば、それは“大臣”といえども、企業における、“お茶くみ”と変わらないのである。
内閣全員が男性でも、別にかまわない
女性だから女性活躍大臣、女性だから天気予報のお姉さん、女性だからお茶くみ、それを適材適所と言ってるから女性は活躍できないんだよ、と、政治家自身が気づいていない。
だから、内閣閣僚は全員男性でもいいと私は思っている。
政治の男女比率からいえば、各段に少ない女性議員を閣僚に多く並べるほうが無理がある。9対1の議員男女比率にならえば、女性閣僚は1人。なにかおかしいか。
そもそも、片山さつき氏の優れたところは討論の場で見せる屈強さだ。閣僚人事をずっと待っている間に高齢になり、いったいこの人今まで何してたんだろう、という存在感のない男性大臣よりよほど閣僚向きだ。
女性活躍のかけ声にならい看板として女性大臣を並べ、その女性たちは権力に極めて従順、ということのほうが、はるかにいびつだ。
適材適所というなら、最も女性活躍に対し謙虚だったのが石破氏だ。彼こそ女性活躍大臣にふさわしい。
『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』
ストーカー殺人事件が後を絶たない。
法律ができたのに、なぜ助けられなかったのか?
自身の赤裸々な体験をもとに、どうすれば殺されずにすむかを徹底的に伝授する。