次は私の番だ。

 私もまた、マイクをやにわに掴み、言った。

 「チョージ!(弔辞)」

私は、私なりの

 後ろに並ぶ元ディレクターたちが息を飲むのがわかった。

 彼らは、私が事前に弔辞を頼まれている事情を知らない。

 誰にも頼まれもしない弔辞を、突然、私が、マイクを掴んで感情のままに喋り始めた。そんな光景に映っただろう。

 彼らが昔から見てきた私の姿だ。

 我儘気ままでやりたいことを譲らない私の、昔ながらの姿がダブっただろう。

 「ヒィ」と乾いた息を吸う音が背後に聞こえた。

 うわ、またかよ、うっそー、やめとけっ。色んな感情が読み取れたヒィだった。

 私は、延々と喋ることにした。弔辞の原稿はないが、そんなものはいらない。この会場に入って、故人の写真を見て、彼のために集った仲間たちを見て、私には尽きぬほど語ることがあった。彼の輝いていた日々について語り尽くすこと、それが私にできる感謝の表し方だと思った。

 故人は華々しい番組を立案制作し、それは大ヒットして長寿番組となり今もなお放送されている。思い出話もたくさんある。今だから言えることも、振り返ってこそ改めて思うこともある。

 

 もちろん、参列した同僚たちは、ほとんど既に知っていることだ。でも私は喋り続けた。そこにいる白髪の小さな女性にもわかるように。

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