ほどなく、こちらも80代の元プロデューサーが花を捧げる番になった。

 彼は歩を進めると、そこにあったマイクをむんずと掴んだ。そして言った。

 「僕は、彼のために、今からお経を唱えます」

 そして「な~む~、あ~み~、だぁ~~~ぶぅ~~」と始まった。

彼は、彼なりの

 マイクを掴んで立ったまま唱えるお経というのを初めて見た。元プロデューサーは美声だった。お坊さんのような地声の響く音色ではなく、どちらかというと男性合唱団にいそうな、なかばファルセットがかった声だ。

 その洋風で男前な声に、お経という和のフレーズが、とても合わない。まして、カラオケさながらにマイクを握っている・・・。

 さっきまで涙が止まらなかった私が、今度は、笑いをこらえるのに必死になった。

 「ダメだ。笑っちゃだめだ」と念じるほどに、胃がよじれる。

 不謹慎だと思いながら笑いが湧き出る。私だけかと居並ぶ元ディレクターたちを見ると皆、プルプルと震えているじゃないか。

・・・皆、笑うのを必死でこらえている。ダメだ。彼らを見たら、もっと笑ってしまう・・・。

 なぜ、元プロデューサーはお経を読み出したのか。もちろん、皆を笑わせようというつもりはないだろう。

 それは、彼なりの意地のようなものではなかったかと思う。

 葬儀のあり方は多様化し、こうした読経のない葬儀や、火葬のみで葬儀は行わなかったり、散骨式のような形態もある。

 それが今であり、会場に着いたらその式の流れに従うのが、いまどきのたしなみということになるだろう。

 でも、彼は、彼なりの送り方をしたかったのだと思う。プロデューサーの血が、妥協を許さない。ここはオレの元部下を朗々と読経で送りたいんだ!となったら、読経で送るのだ。お坊さんがいない? 何とかしようじゃないか。といって時間もないし、この場で何とかするには・・・。

 元上司はそういう男性だった。だから全ディレクターが彼についていった。そして、そのプロデューサーが選んだ私だから、ロクでもないタレントと分かっていても皆が相手をしてくれていたのだ。