改めて会場を見回すと、当時のディレクターたちが全員集まっていた。

 若い頃、生放送やロケなどで、日々起こるハプニングやプレッシャーやドタバタ劇を共有したかつての仲間たちだった。当時のプロデューサーも来ている。80歳近い高齢から60歳前後の元スタッフたちが、すっかり白髪で勢ぞろいしている。

当時は申し訳ありませんでした

 当時の私はまだ20代でハチャメチャだった。ロケに文句をつけ、我儘で、スタッフたちを困らせるどうしようもないタレントだったと自覚している。なんせ「朝はヤダ」の一言でロケを午後にしてもらったり、「すぐ働くのはヤダ」と海外ロケなどはまずマッサージを手配してもらうようなタレントだった。当時現役だったスタッフたちの、「もぉぉぉ」という困り顔を今でもよく覚えている。

 その当時の、皆が揃った。

 照れくさい気持ちもあり、懐かしい気持ちもある。今だから語れるあれやこれやが頭に浮かぶ。しかし、これから葬儀が始まろうとしている。互いに軽く挨拶を交わしながら席に着いた。

 さて、お坊さんのいない葬儀というのは、つまりはお経がない葬儀だ。葬儀の間、何をするかというと、司会者が延々喋り続けるのだった。

 司会者は長くゆっくりと喋る。「亡き〇〇さんの御霊を」「今、ここに皆さまのお心が」・・・そんな中、我々“熱血ディレクターの仲間たち”は花を一輪ずつ供えていく。

 80代だろう。白髪の母親が遺体に黙って手を合わせる姿に胸が痛んだ。私は涙が止まらなくなり、弔辞ができるだろうかと不安になった。

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