殴られても殴られても、その男性から離れられない女性もいる。総じてそういう女性は自己評価が低いと言われている。他者が強く自分を必要としてくれている、という現実が(その関係性を問うことなしに)自己承認欲求を満たし、感情を制御できない人の面倒を見られるのは私しかいない、という代替不可の理屈で、暴力やその後の抱きしめなど、ジェットコースターのような関係性の中で内向きの閉ざされた堅い絆を育ててしまう。

 大坂なおみ選手がグランドスラムで初優勝しながらも気は弱いと言われているように、選手の見事なプレーと心のあり様は別物だ。宮川選手がメダル候補でも自己評価が低いと仮定すると、殴られる→怒り、ではなく、殴られる→真剣に自分を見てくれている、という解釈も可能になる。

 二人きりで向き合う関係性が長く続けば、それはもう親子や夫婦と変わらない。親子も夫婦も縁が切りにくいように、互いの依存性が高いほど、暴力は軽視され、埋没する。これはまさにドメスティックバイオレンス(DV)だ。

暴力と抱擁、は支配したい人間の常套手段

 協会のパワハラ問題とか、引き抜き問題とか、それは組織の問題だ。そっちはそっちでやればいい。私が問題だと思うのは宮川選手の主張が「暴力を振るうコーチを慕って止まない」自覚なき深刻さのほうにあると思う。

 「暴力と抱きしめ」は、ある種の人間がよくやるアプローチだ。私もやられた経験がある。私は何も悪いことはしていない。が、監督がツカツカとやってきて皆の前で私を突然平手打ちにした。そして「ちゃんとやれ!」と怒鳴った。

 ちゃんとやるもなにも、何もまだしていない状況で、ただ立っていた(他の出演者と一緒に)私だけが殴られたのだ。後日、廊下で監督とすれ違う時、突然監督は私を抱き締め「がんばれ」と言った。