付け届けは結局は罪なものだ

 スポーツマン精神という高潔さを求めるなら、プロもアマも関係なく不正はよくない。そこに違和感はない。だが、それを批判できる立ち位置に、コメンテーターたちはいますか? を問いたい。せめて自覚していてほしい。

 いずれにせよ、付け届けは功罪がある。届けておけば気持ちが届く。だが、もしこれがスポーツならばその気持ちが審判の判断を狂わせもしよう。
 だって人間だもの。

 では芸能界では許されるのか、というと、それも違う。

 本当なら、忌憚のない発言で視聴率という数字を取りにいくべきで、これも真剣勝負なのだ。この数字でスタッフやタレントは生きているのだから。その言葉の矛先が緩むのだから、やはり、もらっておいてなんだが、付け届けの慣習はよくないと思う。本番前はスポーツなら試合前だ。共に闘うメンバーたちに付け届けをする時間があるなら、本番に向けて集中しろよ、という話だ。大事なのは自分への矛先を緩めてもらうことよりも、全員で数字を取り、他局に勝つことだ。

 付け届けを美しい伝統と見るか、ずるい根回しと見るか……。
 いっそのこと、分野を限らず全員が公務員のように働けばいい、と思おうにも、そのトップにいる省庁の官僚たちもまた、自らの利権を付け届けとして利用している。

 私たちの付け届け文化は根深く、「審査員にカネ渡した」と責めたところで、責める権利のある人間なんて、ほぼほぼいないんじゃないか。私も含め、だ。

 この前、「結婚するなら、籠池(泰典)氏と山根氏とどっち?」というトークをした。
 芸能界で許される議論は、これくらいだろうと確信している。

(写真:kai / PIXTA(ピクスタ))
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