「道」に付け届けは付き物だ

 日本の古典芸能は私の経験と知る限りでは、師匠から金額を指示される。そこに弟子には有無は言わせない“伝統”の圧力がある。そうまでして免許がほしい生徒はカネを出すし、そこまでしてと思う人は免許を断念する。

 早く言えば、世の中で「ナントカ道」とされ、級とか段とかの昇格審査のあるもの、そしてそこに「勝負」の要素が薄ければ、“心づけ”や“付け届け”などは正常な慣習と見なされているんじゃないか。

 つまり、芸事の腕があるか否かはさほど厳しくなく、まず、問われるのは経済力というのがこの国の芸能の習い事のあり様だ。だから、昨今習う人が減ったと嘆く日舞も茶道も華道も、ひと言で“時代”というよりも、私の経験では「カネがかかる趣味だから」が、主な理由だと感じている。名取と聞いて日舞がうまいと理解してはいけない。もちろん国宝級の舞踊家もいるが、その前に、名取になるだけの経済力があった、ということでもあろう。居合道も審査前に審査員への付け届けとして金銭授与があるのなら、限りなく芸事の領域であり、公正公平を死守すべきスポーツとは違う、ということだ。

 テレビ番組を見ていると、不正、特にスポーツ界の“闇”は批判の対象になりやすく、関係する人は、辞任するまで叩く。カネがからめば、いや、お菓子やフルーツの類でも忖度が過ぎると判定されれば、コメンテーターたちはこぞってその人間を批判する。

 そこに“税金”を使っているから?
 ならば、スポーツ選手は公務員並みの倫理規範を持たねばならないことになる。

 では、プロ野球は?
 やはり不正は叩かれる。“スポーツマン精神”という煌びやかな名目のもとに高潔さを期待される。

 だったら、居合道のようにスポーツと芸域の両方にかかるものは?
 そこもスポーツマン精神で叩かれるべきか、「いえ、伝統文化ですから」と、金銭授与ありきと開き直れるか。