ご相談
同世代でも、すっかり老けたタイプと、若々しいタイプとがいます。この違い、いったい何だと思いますか?
(40代女性)
遙から
私は今、専門家の指導で食生活やライフスタイルを見直している真っ最中だ。
これが新鮮で新鮮で面白くてたまらない。
今の私の関心事は世界情勢より自分の体内情勢。朝何をしたら夜どうなって、翌朝どう変化したか、を毎日毎日意識的に試行錯誤し、挑戦を繰り返していると、なんと面白いオモチャかと感心することが少なくない。飽きないのだ、己が身体に。
目的は何か? よくあるダイエット云々ではない。そもそも私はダイエットを必要としていない。目的はただひとつ。“健康な身体を獲得する”だ。
その代表的なチェック項目のひとつに、“便秘か否か”がある。
女子会に於いてもタブー
女子会と言えども「私便秘なのよね」までは言えても、「で、1回で何割くらい排泄できていると感じる?」と話題を深めてみると女性たちは一様に口ごもり、質問の意味も理解できていなかったりする。
なんでも喋る女子会と言えどもそのテーマが便秘で、それを深め、広げてトークする、ということはまだタブーな領域なのだと感じる。
だいたいCMでも便秘解消系のものは「もう、朝からすっきり」とか「つるんとすべるように」とかいうものばかり。「もう幸せで」とかまで言われると「お前の排泄に誰が興味あるか」と怒りすら感じてくる。そもそも自分が便秘ではないという自覚が反発感情を生むのかもしれない、と思っていた。
だが。
整骨医が私のお腹を触り、「もっと腸の動きをよくしましょう」と処方された食物繊維系サプリを摂取した翌朝、「自分は便秘だったのだ」とガツンと気づかされるハメになった。
どの医師に質問されても「はい。快調です」と答えてきたから全員がスルーしてきた話題。だが、整骨医がゆっくりお腹を触り、「腸の動きがよくない」と判断した。そして事実、サプリの効果をいきなり味わったのだ。
あまりの感動にさっそく女子会で「このサプリすっげー」と話をすると「私も飲みたい」という。
便秘だという自覚がなかった私が「うそ!」と思ったくらいだから、便秘気味の人ならどれほど喜んでくれるだろうとウキウキしつつ次回のお茶会の感想を待った。そして、顔を見るなり「どうだった?」と聞くと、「それが」と表情が曇り、「もっとでなくなった」と言う。
驚いて、整骨医に質問した。「なぜ私には翌朝に効果を感じられるものが、他の女性だと症状を悪化させるのでしょう」。
整骨医は「便秘はサプリだけで解決するものではありません。何を食べているか。水を飲んでいるか。腸にちゃんと水分が回っているか。ストレスがないか。睡眠がしっかりとれているか。腸内細菌はどうか。運動量はどうか。全部が影響するのです。遙さんの場合、あとは食物繊維の刺激だけで効果が出るほど他が揃っていたということです。ご友人が本気で便秘を治したいなら細かく診察します」と答えた。
友人たちの人生を徹底リサーチ
なんと身体とは奥深いものだろう。私にはハンパなく効き、友人には悪化させるという間逆の展開に、友人女性にリサーチしないではいられなくなった。
2人の女性に、朝起きてから寝るまでの間に、何を食べ、いつ、何を飲み、何をして過ごしているのかを詳細に聞いた。寝る時の室温や睡眠時の体調まで、他人の生態に土足で踏み込むくらい聞いた。
リサーチには3時間かかった。そして驚くべき違いを私は発見したのだ。
まず私の話から始めよう。
朝起きてすぐ強いコーヒーで脳を覚醒させる。日光を浴びるためにベランダで飲む。朝食もベランダ、歯磨きもベランダだ。朝食は野菜、フルーツ、タンパク質、オイル、だ。水分は午前中だけで1リットルくらいは飲んでいる。とにかく朝は浴びるように水を飲み、日光も浴びる。
だが、友人女性は違った。
「朝は、ヨーグルトとキウイ。一杯のお茶かな」
「それだけ?」
「それだけ。そして、外出かな」
「食べる量も、飲む量も少なすぎる。それじゃあ、腸に刺激が行くわけない!」
もう一人の女性は
「私は朝は和定食みたいなもの。ご飯とお味噌汁と野菜よ」
「え? タンパク質は?」
「ないわ」
「ないの!?」
夜も聞いてみた。
「朝まで眠れている?」
「暑くて、汗で起きることがあるわ」
「私は寝た数時間後には必ずトイレで起きるわ」
これ、高齢者たちの話ではない。40代女性がこれだ。
整骨医は、便秘に関わる理由は山ほどあり、生活面、精神面、食生活と多岐にわたるという。本当だった。
自分が信じていることに根拠はあるか?
友人は2人とも、しっかり運動しているしスタイルもいいが、食バランスや睡眠にあきらかに問題があった。そりゃ食物繊維サプリだけで解決するわけがない。
食物繊維は水を吸ったら膨らむ性質があると言われている。朝、たった一杯のお茶しか飲まないなら、腸内の少ない水分を食物繊維が吸い込み、刺激どころか、腸を詰まらせる。そして、「もっとでなくなった」に繋がるのだ、と合点がいった。
身体は正直というか。自分では「健康にいい食生活」と信じ込んでいても、ちゃんと“便秘”というシグナルでそれが間違いだと主張してくる。
シグナルを「ま、いっか」で無視することだってできる。それほど不調じゃないし、と。
私は激しく反対した。
「だめ! 排泄物という発想ではなく、“過去”は翌日の朝にはちゃんと捨てないと新しい1日が始まらない。毎日、毎日、昨日を捨てるのよ。過去を引きずったままでいい毎日が送れるわけがない」
寝るときには身体を締め付けないほうがいいと聞いたので、私はパジャマだけで下着をまったくつけずに寝てみた。下着をつけないと解放感があり「なんだ! 下着はつけるものという思い込みにとらわれていた」とこれまでの人生を損した気分だった。が、寝て数時間後にトイレに行きたくて目が覚めた。どうやら下半身が冷えたのだった。整骨医は「寝る時は腹巻をしなさい」という。
パンティ一枚の保温力というもののすごさを経験した。
パンティの力はあなどれない。
よい睡眠のために寝る前には軽く胃にモノを入れるようにと指導されていたから、毎晩、フルーツやヨーグルトやはちみつを食べてから就寝していた。だが、ある日、夕食が遅れ、肉料理だったことから「今日はお腹いっぱいだから寝る前の軽い食べ物はいいか」とそのまま寝ることにした。
すると、朝5時ころにお腹が空いて目が覚めてしまった。
まったく身体は正直だ。
毎晩毎晩、就寝前にやっている食生活を、気まぐれで変更したら途端に目が覚めてしまうのだから。
失敗から学ばないとどうなるか
これらの指導を受け、実験めいた挑戦を日々繰り返していくと、失敗から学ぶことが多い。その、結果、どうやらこれが私には合うようだ、という事例が増え、徐々に「絶対健康を手に入れる」に近づいていることに気づく。
私には羨ましくしか見えなかった40代の一見健康そうに見える女性たちの3時間にも及ぶリサーチは、今はまだ「便秘でも、ま、いっか」「夜中起きちゃうけど、ま、いっか」で過ごせるものの、その蓄積が将来の健康寿命を左右するのだ、というところまでは発想がいかないらしい。
私の姉は腰椎狭窄症になり、生活のクオリティが一気に落ちた。
が、私は子供の頃から気づいていたのだ。その姉は靴が片方の底だけ斜めに削れていたことを。彼女はずっと健康のためにウォーキングをせっせと続け、結果、腰椎の間の軟骨が斜めにすり減った。昔見た、あの靴底のように。
身体づくりとはそれぞれ人体実験のようだと毎日感じている。私の目標は、アンチエイジングとか、容貌とか、そんなチャライ音色のものではない。ほしいのは絶対音感のように、“絶対健康”。そして100歳時代を生きてみる。他の誰でもない、この私が見てみたいのだ。
そうはいっても絶対健康の100歳ってそもそも可能なのか。それを含めて実験をしてみたい。
昔、亡き父が元気な頃「100歳まで生きる」と言い、ステーキをガンガン食べ、タバコをガンガン吸い、酒もガンガン飲んで、脳梗塞になった。父の夢は叶わなかった。その時代の健康法は紅茶キノコくらいだった。そういう時代だ。次世代の姉は「運動よ!」と言い、腰椎をやられた。そういう時代だ。
過去は1秒でも早く捨て去るべし
次は私の時代だ。仕事、女子会、運動、の時代。
今の時代はやたら紫外線を怖がるが、私はそれを全身で浴びながらこの猛暑をジョギングしている。「災害レベルの暑さです」とアナウンスされても、私はタンクトップと短パンで炎天下を太陽浴びて走る。シミができる恐怖より顔に風と太陽を感じる爽快感を手放したくはない。
人はしょせん今の時代の健康情報を頼って生きるしかなく、その健康情報というのが、次の時代には必ず古くなる。人体はもっと総合的な影響下でどうやら動いている。時代遅れが予見できる情報の過信より、実験と失敗を繰り返しつつ、自分の身体に耳を傾けることが最も手堅い研究だと思っている。健康でいることとは、生涯続く研究テーマだ。
過去に生きる他人が言うことを鵜呑みにするより、自分で仮説を立て、試す。
若々しく見える人はきっとそうしている。
仕事も、生き方も、健康も、その極意は似ている。
過去はとっとと捨て、今日を生きる、だ。
まず今夜は、腹巻の実験だ。
『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』
ストーカー殺人事件が後を絶たない。
法律ができたのに、なぜ助けられなかったのか?
自身の赤裸々な体験をもとに、どうすれば殺されずにすむかを徹底的に伝授する。