他人の悩みをテキトーに流し、賢明に面倒でない距離感を保てる人はたくさんいる。

 果たしてそういうタイプは、怒ったらどうなるだろう。私の経験では、より冷静に距離を置き、その後、付き合いをやめていく。おそらくそれが上手な人間関係のコントロールの仕方なのだろう。

 もめずに距離を置く、静かに離婚する、といった抑制の利いた技術で、次なる道へ急ぎ足で進む人も多い。

 “別れてもいいお友達”夫婦。私はこっちのほうを信用しない。もちろん、いろんな関係性があっていい。そういう人達もいるのだろう。ただ私には現実味がないだけで。

怒りの代弁者

 松居さんが“家族”と呼ぶ、少なからぬ応援者たちは、私のように具体的に何かの恩がある方ばかりではなかろう。松居さんの激怒ぶりを見てもなお、応援したくなる人たちがいるとすれば、それは、“自分の中にもある怒りの代弁者”を松居さんに見ているからではないだろうか。

 激しく怒りたいのだ。でもなかなか、世間の目とか自分のイメージを気にして、あそこまで修羅の自分を表に出せるものでもない。怒りよりも自分の見え方に腰がひけ、本当は怒りたいのにその感情を飲み込み、理不尽な現実を受け入れてきた。そんなタイプの人たちにすれば、そりゃ松居さんの怒りっぷりを見て、過去の自分の代弁者として姿をダブらせもしよう。勝手ながら私はそう推察している。