そういう男性には、“正しくなく生きている”女性、つまり、子を産まず生きている女性は“勝手”に映るということだ。なんというシンプルな理解力か。

 妊娠・出産はもちろんおめでたいことである。しかし、耳を澄ましていれば、活躍の機会を奪われたと感じたり、あるいは活躍するために機会を逃したり、頑張っても間に合わなかったり、そんな女性たちの「チッ」が聞こえてくる。

 え、聞こえない? 現実には「チッ」と吐くことすら、社会的なプレッシャーの中では難しい。だから黙っているだけだ。

 そして産んだ女性側が「産んだの? えらいなぁ」と絶賛され、「おめでとう!」と全員から拍手され、その祝福を前には自らの「チッ」は、吐く場所もない。それどころか「後悔するわよ」と呪いまでかけられる始末。産んでいない側から言わせてもらうと、踏んだり蹴ったりとはこのことだ。

政治家なら、無知の露呈も罪ではないか

 100人女がいれば、産もうが産むまいが、100通りの事情がある。たくさんの子育てに奮闘する母親を見て、あなたが「明るい日本の未来」を微笑ましく感じるのはもっともなことだ。しかし、それ「しか」感じないのだとしたら、もうしわけないが、いかに育児から遠いところで生きてきたかの証明……でもある。

 当時者の本音は100人100様。産んでも虐待する親もいる。子産みや子育てをしない側やそこに距離を持って生きている側からすれば、女の本音を微塵も知らないということがうかがい知れる「勝手」発言だった。

 二階氏の「勝手に生きて」を聞いた瞬間、女性たちの心の中には、「絶対、産んでなどやらない」という思いが膨らんだだろう、と悪魔の想像を私はしている。